ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

心に根ざしているもの

日曜日、欲しいコスメがあった。

天気は雨。家には祖父と弟と叔父と私だけ。

予定はなし、こんな日が1番危ないのはわかってた。

電気もつけずにぼーっとスマホをいじるだけ。

ずーっとずーっと消えなかった希死念慮無防備になった私に襲いかかってきた。 予定がなく1人でいるとすぐこれだ、だから家は嫌いだ。

ほんの些細なことだけど、自分が独りになってしまったような感覚になった出来事があり、本当に生きてる価値ないなと思った。誰からも愛されないのなら生きていなくてもいいじゃないか。

ひざ掛けにしていた大判ストールを首に巻きつけてきつく絞めてみる、すこーし意識がボワッとして終わった。 何やってんだ、と涙が出てきた。

どうせ死ねないのわかってたよ。 

 

常日頃から消えない希死念慮ってなんだろうと思って、同じような人はいないのかと 希死念慮 ブログ

で検索かけてみる。 するとあるコラムが出てきた。

『幸せな状況に置かれていても根底には死にたい気持ちが消えない』

みたいなことが書かれていた。そうだ、まさにその通りで私が思っていたのはこれだったんだ。

幸せなことに対する申し訳なさ、幸せだと感じても純粋に幸せだと感じることはできない。

これからもずっとずっと、死ぬことに対して批判的である世の中で生きていかなければならない。

生きることが絶対的であるという多数派に囲まれて。 

1人になると脳内でもう1人の自分が、早く死ね、役立たずのくせに、なんで生きてんの?って責めてくる。早く死ななければって、義務のように。

 

街に出るとたくさんの人がいて この人たちはみんな誰かに必要とされていて生きたいという意思を持って真っ当に生きている。そんな中をこんな空っぽな人間が歩いていていいのだろうか?と街行く人と自分を比べて消えたくなる。欲望にまみれた夜の街で

誰かその欲望を私にぶつけてくれないか、と。

暗い中歩いていると消えてしまえそうな気がする。

 

初めて人の文章を見て泣いた。

そもそも全く泣かないのに。

 

 家族の声も生活音もテレビの音も全部耳障りだ。

1人にしてくれよ 話してもわからないくせに干渉しないでよ、電気の明かりがしんどい。