ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

後ろを振り返ればまた

毎年毎年嫌でもなんでも、年を重ねる。

今年もやってきた。22歳になってしまった。

というよりも、22年間生きてしまったと言う方がしっくりくる。

 

去年の誕生日に書いたブログもやっぱり誕生日を嫌っていた。

手帳を見れば、生きていたくないのに年だけとっていくのは嫌だとか、早く死にたいのにとか書いてあったし、また遺書を書いてたし。

 

毎年毎年、誕生日がくるたびに生きることを目標にしているなぁ。

 

今年は去年みたいに鬱々してない。

相変わらず年をとるのは怖いし、おめでとうって言われるのも怖いけど、精神的にまだマシだ。

死ぬことを諦めたのだろうか。

 

夏が終わるまでに死のうとかいつも言ってたけど、どうせ生きてるし、死ねないし。

これからもゆらゆらと、空間を漂うように生きていくんだろうと考えれば、急いで死ぬことはないのかもしれないと思っているのか。

 

私、就職辞めたの。

自分で、自分を認めてもらって、稼ぐの。

と決めた。

 

本当にそうやって食べていけるのか自信はない。

でもやっぱり、限りある人生で、どうせ死ぬ人生で、やりたいことをしたいし、苦しみながら生きたくないと思った。

なにがどうなっても私の人生だしね。

がモットーとなっているし、そう考えるようにしてからは大分楽だ。

 

大人になるにつれて、誕生日って気にしなくなるよね。

子供の頃はあんなにワクワクしていたのに。

 

特別な日にしたくないくせに、自分で特別な日に仕立て上げていた。自分で自分の首を締めていたんだなと気づいた。

 

こう言っておいてなんだけど、21歳の振り返りをしてみる。

1番大きかったのは就活、バイトだな。

就活では色々考えたし、現実を知らされたし、自分の人生は自分で考えていかなきゃいけないってことを痛いほど感じさせられた。

 

バイトでは、憧れもあった業種を始めて、自分の承認欲求と闘いながら、それでもまだ膨れ上がる承認欲求と毎日闘い続けている。

きっと治らないと思うし、しばらく辞められないと思う。

 

22歳の目標も、生きることにしよう。

もっと向上心を持てと言われるかもしれないけど、生きることは難しい。

 

絶対みんな生きてるだけで褒められるべきだ。

 

また死にたいと言いながら、ずるずると這いつくばって生きるんだろうな。

これからもずっとずっと、毎年同じことを言い続けるのだろうか。

 

生への執着心なんていらないのに。

 

 

 

自分の敵は自分

二十歳になる前に死のうと思っていた。だけど来月で22歳。

二十歳になったら大人の仲間入り。大人として扱われるわけだ。

犯罪を犯せば実名が晒されるし、いろんな契約だって一人で結べるし、お酒もタバコもオッケーだし。

 

今、高野悦子さんの、「二十歳の原点」という本を読んでいる。

ネタバレしてしまうかもしれないので、したくない方は読まないでください。

高野さんは今はもう亡くなっている。自殺している。

遺書的なものであり、彼女が生きて、もがいた記録である。

以前から読みたいと思っていたけど、書店にも置いてなく、某通販でも入荷待ちで、

先日やっと入荷したところを手に入れた。

 

実はまだ全部読んでいなくてちょうど半分くらい読んだところだけど、ここまで読んだ時の思いを書きたくなった。読み終わったらまた書くかもしれない。多分。

 

時代は1969年。学生運動が盛んな時代である。その時代のことがよくわからなかったので若干読みにくかった。一度サッと調べてから読むと読みやすくなる。

(色んな用語が出てくるので途中ごっちゃになってしまった・・)

彼女は学生運動を通して、自分自身を見つめ、自分自身を探していた。

学生運動は「若者のエネルギー」として書かれている反面、彼女は自分にはあのような情熱がないことに、生きる意味を見いだせていなかった。

本書は彼女がつけていた日記が載せられており、彼女視点で進んでいく。

彼女と同年代であるからか、苦悩がすごく理解できた。

 

二十歳になる前の自分は何を思っていたのか、手帳を引っ張り出してみた。

十九歳最後の日には、『トリートメント、パック、スクラブで全身完璧にした。去年はサークルのメンバーに祝ってもらえたけど、もう戻れない。明日二十歳の決意表明書こう。』と書いてあった。

二十歳になった日には『二十歳です。酒もタバコもオッケーです。自分の誕生日って怖い。二十歳になった決意表明、自分の考えをちゃんと持って行動する。人の気持ちをわかるようになる。内面外面レベルアップ。生きる(とりあえず)』と書いてあった。

やっぱり、二十歳になったからってなにもガラッと成長するわけでもないのに何か区切りをつけたかったんだな。

二十歳になる前に死のうと思っていたのも、大人の自分がイメージできなくて、きっと大人にはなれないし、怖いと思っていたから。

ずっと十九歳でいられたらなぁって思ってた。

 

人間に反抗期が来るのは、アイデンティティーを確立するためだと昔習った。

他者と自分をぶつからせながら、自分を確立していく時期なんだと。

自分は何なのか。二十歳を過ぎた今でもわからない。

 

‘人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。‘

 

不完全さを克服しようとする過程の積み重ねで、人間は成長するのだと思う。

でも、完璧な人間はいないと言われるように、それには終わりがない。

 

彼女は独りであると感じている。話せる友人も、サークルにも入っているけれど、人間は独りであると何度も言っている。

他者に対して演技をしている方がいいのだと。そうでなければ、簡単に付け込まれてしまうと。

本当の自分を見せられないのは苦しい。わかってほしいのに、わかってほしくない。

普段親しくしている友人も、本当の自分ではなく、演技している自分と仲良くしてくれているのだと感じるから、孤独に感じるのかもしれない。

本当の自分をわかってやれるのは自分だけ・・

こういう意味では人間はみんな独りである。

 

彼女は血を見ることで、生きているのだと実感していた。

からっぽの中身にもきちんと隅々まで血が通っている。生きているのだと実感できた。

生きていると実感するには何か刺激が必要だと思う。

他者との関わりもそうだし、他社が自分の存在を認識してくれるからこそ、自分で自分を認識できるから。

何かエネルギーとなるようなものや、ふつふつと込み上げてくる感情を持たなければ生きている意味を見いだせない。

ただ生きるための作業をしているだけになってしまう。

 

私もよく生きている意味を考える。

大した情熱もないし、最近はますます他者との関わりを拒むようになってしまった。

部屋に篭もり、延々とパソコンに向かったり、本を読んだり、あてもなくスマホをいじったり・・

何か生産性のあることをしなければと思えば思うほど、焦燥感で何もできなくなるし、終いにはどうせ死ぬんだからいいかって思ってしまう。

何かもっと情熱を注げるものがあったらいいのに、常に自分の傍観者である。

 

まだ半分なので、とりあえず思ったことを書いてみた。

早く最後まで読みたい気持ちと、一気に読んでしまうのはもったいないという気持ちがある。

彼女はどんなことを思いながら死んでいったのだろうか。

 

死んでも負けではない。

 

 

 

クソカワいくて、クソ最高だった

クソカワparty行ってきた。

大森靖子ちゃん。本当に目の前にいたんだ。

ライブって初めてで、しかも一人だったから不安もあったけど、メンタルもガタガタだったけど…   本当に靖子ちゃんの音楽は生で聴かないといけないと思った。

 

実はもう行きのバスでも泣きそうで、ライブ会場で始まるの待ってる時も泣きそうでずっと泣きそうだった。 

案の定、靖子ちゃんが登場した瞬間ボロボロ涙が出てきた。

 

後ろの方だったからギリギリ顔が見えるくらいだったんだけどでもそれでも、本当に同じ空間に、数メートル先に靖子ちゃんがいたんだ。

 

靖子ちゃんの音楽は毎日聴いてる。

どんな感情も闇の中から取り出して歌ってくれる。肯定してくれてる気がするんだ。

全部全部全部歌ってくれる。

 

死にたいって毎日のように思うし、自分の存在価値なんかないって思ってるけど、今日靖子ちゃんが 自分を大切にできるのは自分しかいない、ちゃんと肯定してあげてって言ってくれた。生きててくださいって言ってくれた。

 

靖子ちゃんは神様ではないって言ってたけど

私にとっては神様だった。

ラストの曲、本当に言葉にできないようなエネルギーを感じた。

大げさだと言わないでほしい、神様を見た。

 

一体何人の人を救ってきたんだろう。

本当に本当にライブに行ってよかった。

なんだか夢だったのかなあなんて思うくらい。

でもちゃんとグッズがあるから行ってきたんだよね。

 

一曲一曲にいろんな思いがあるから終始泣きっぱなしだった。

あーあ、おかげで二重幅が死んでしまったよ。

 

寝てしまうのがもったいないな。

 

靖子ちゃん、私を生かしてくれてありがとう。

って、本当は直接伝えたかった。

 

あなたの音楽が私の命綱ですって。

 

死ぬまで聴き続けるよ。

 

靖子ちゃんが1番可愛いよ!

 

ピンク色

来月、初めてライブに行くんだ。

今までこんなドハマりしたアーティストがいなくて。

 

死ぬ前に一度、彼女の容赦なくぶちまける心の叫びを生で聞いてみたかった。

私をここまで生かしてくれてありがとう。

あなたの歌があったから今まで生きてこられたと、ライブに行くことで伝わるかもしれないと思った。

 

彼女のどんな経験が、あのような歌詞を書かせるのだろう。

きっとそれを聞いたって、歌を何百回何千回聴いたって全てを理解することはできない。その人の経験はその人のものだし、その人が感じたことが全てだし、一番伝えたい気持ちほど、言葉なんかじゃ伝えきれないと思う。

 

彼女は痛いくらいに自分と向き合っていると思う。

一般に触れられないところを引きずり出して、それとの葛藤を苦しいくらい歌っている。

人間の心の中の、何重にも守られた黒いものを引きずり出して、目を背けなくてもいいと言ってくれている気がする。

 

何よりも、彼女には世界がある。

彼女の中の女の子は、素直で純情で真っ白ではない。

儚くて壊れかけててマーブル色。

彼女の世界はきっと誰にも侵略できない。

触れようとするとはじかれるような、独立した、彼女だけのもの。

これはあたしの世界、あたしはあたし。って言っているよう。

彼女はきっと絶望しているんだと思う。

絶望と闘いながら歌を歌っている。ぶっ壊したいんだ。

 

色々曲についても書きたいけど、2つに絞る。

1つ目。社会に殺されゆく世界を歌っている気がする。

前へならえの社会に自分が殺されて、私はそれを救いたいのに異端扱い。

自分を殺すような社会なら、社会なんていらない。

私は私のものだ。誰にも犯させない。そんな風に思わせてくれる歌。

曲のタイトルはきっと本人のことなんだろうなぁ。

 

2つ目。1年以上ほぼ毎日聴いている、一番お気に入りの曲。

いつか絶対、見返してやるからなって気持ちになれる。

ゆめゆめかわいいピンクと女子力ピンクの違いってなんだろうね。

私、この曲をお葬式で流してねって遺書に書くつもり。

 

ギター一本で色々なものと闘う彼女が好き。

私たちを受け入れつつも拒否してくるところも好き。

 

クソカワParty、可愛いってなんだ。

みんなが知ってる国民的キャラクターでも、有名なモデルでもアイドルでもなく、

ぐちゃぐちゃで汚いものが可愛い。

イメージ的にはそんな感じ。

 

楽しみだなぁ。どんな風に歌ってくれるんだろう。

彼女にとっての音楽はなんだろう。絶対あの続きは言わないんだろうけど

聞いてみたいなぁ。

私にとってあなたの音楽は命綱です。

 

 

1年経ってたらしいよ

9月7日は、大好きな大好きな佐久間まゆちゃんのお誕生日ですよ。

・・あれ?去年も同じこと書いたなぁ・・

ということで1年経ちました。

ちょうどインターンシップ真っただ中で、何か自分の思いを吐き出せるものを作らなきゃと思ったのがきっかけだったと思います。

 

さて、1年記念に何かいいネタはないかなと思っていたけど、このブログ、見返すと

死にたいとかセックスとか自己肯定感しか書いてないな。

まあ、私の頭の中それしかないんですよね。

他に好きな物をあげろと言われたら、コスメ、お菓子、本だけど・・

どれも語れるほどの知識がないです!

 

なので、やっぱり今回も今まで通りにいきたいと思います!

 

先日、卒論用の本を借りに久しぶりに学校に行った。

せっかく1時間かけて来たし、他の本も読んでみようと思ってぶらぶら歩いてた。

手に取ったのは、身体を売る人、買う人 みたいな本と、なぜ人間は自殺するのか

という本・・(タイトルはうろ覚え)

 

やっぱりこういう本手に取ってしまうんだなぁ。一人でよかった。

まず1冊目の身体を売る、買うの方だけど、正直よくわからなかった。

だって売春も不倫もしたことないし。

ただ、「労働としてのセックス」という言葉だけ覚えてる。

風俗のことだろう。

周りに言ってもきっと理解してもらえない(言えないけど)と思うけど、私にとって自分の「性」って、自分とは切り離されてるように思う。

確かに自分の身体なんだけど、道具なんだ。ド〇クエでいうなんとかソードみたいなもの。

主人公そのものが自分自身とするならば、武器が性。

こんな風に感じてる。

だから、周りに簡単にヤるのやめたら?とか身体大事にしなよとか言われても

全く響かない。

装備を捨てろと言われましても・・って感じ。

 

その本にもう一つこんなことが書いてあった。

「承認されたいからセックスをする」

まさに私これなんですけど、と思った。待てよ、これさっきのド〇クエと逆のこと言ってるよね?

だってこれは性を通して自分自身を認めてもらおうとしてるじゃん。

身体しか必要とされてないのに、私自身も必要とされてるって錯覚する。

寂しくなったら誰でもいいからヤりたくなるの、これだもんね。

 

ほんと、自分の性を都合よく使ってるよなと思う。

 

2冊目。なぜ自殺をするのかという本。

色々書いてあったけど、自分なりにまとめると・・

「自殺は自己愛が強すぎる故に実行する。」

「死ぬ本能などは存在しない」

自己愛が強すぎて自殺って意味わかんない、自分が嫌いだから死ぬんでしょ、と思った。この本曰く、こんな自分でいること(失恋してみじめだとか、困窮した生活を送ってるとか)に耐えられなくて、こんな世界に生きていられないと思うんだって。

それでこの世界を変えたいけど、簡単に世界を変えられないから、破壊したいと思う矛先が自分に向くんだと。それが自殺。

死ぬ本能が存在しないっていうのは、生きる本能しか存在しないことらしい。

人間が自殺するのは、死にたいと思うんじゃなくて、もっと楽な別の世界に行きたい、そこで生きたいと思うからなんだって。

人間の生きることへの執着にはドン引きする。

ネットで見たことだけど、死ぬ間際に見る走馬灯は、目の前の死を回避するための方法を、今までの記憶をフル回転させて探すためらしい。

超引いた。

 

この本の結論部分読んだらがっかりした。

生命がある限りは希望があるとか書いてあるから。

私はこんな言葉見るためにこの本読んだわけじゃないのに。

 

でも、自分が欲しい言葉がわからない。

なにを肯定してほしいのか・・

死にたいと思う自分を肯定してほしいのか?

 

 

・・・

こんなブログですが、読者になってくれた方、スターつけてくださる方がいて

本当に嬉しく思います。ありがとうございます!

これからもまたなんか言ってんな、と思いながら読んでくれると喜びます。

 

 

 

夏休みの日記

気が付けば、夏のせいにできなくなりそうだ。

あんなに鬱陶しかった蝉の声だっていつの間にか聞こえなくなってるじゃないか。

どこいったのかな、死んだのかな。

 

8月31日といえば、夏休みの終わり。

夏が嫌いになったのはいつからだろう。インスタグラムやTwitterを見るのが

苦しくなったのはいつから?

SNSの投稿なんて、日常の、絶頂の部分を切り取っているだけというのは

わかっているけど、絶頂を迎える過程にも至らないから、僻みだと思う。

夏、といえば楽しくてキラキラしたもの。だという観念に縛られてしまうから苦しいんだと思う。

夏は嫌い。暑いし、日焼けするし、汗でべたべた、化粧はどろどろになるし。

夏は嫌いでも、夏の終わりだけエモい気持ちになるのはなんでだ。

 

夏って一番騒がしくてごちゃごちゃしてる季節だと思う。

空気は夜になっても静かじゃない。どこかしらで花火の音もするし。

だから、それに紛れて色々ごまかしてしまうんだと思う。

まあ夏だしいっか。

どうせ、この夏が過ぎたら、忘れてしまうんでしょ?

そして、秋になったらそれに殺されるんでしょ。

夏に買ったもののツケを払わなきゃね。

 

毎年夏に思うこと。

夏が終わるまでに死のう。

夏だから、死んでしまっても、色んなものに紛れてばれない気がする。

きっと死んだ音は、かき消されて誰にも聞こえないだろう。

 

かき氷食べてないし、花火もしてない、夏らしいことしてないから

夏考えたことでも書こう。

 

人を愛するってどういうことだろう。

家族でさえも時々、この人たちは誰なんだろうと思うことがある。

仲が悪いわけでもないし、特別何か問題があるわけでもない。

友達に、「ねえ、自分の周りのこととか、どれくらい家族に話す?」

って聞くと、大抵は結構深くまで話してるって言う。

まあさすがに、今日ヤらかしちゃった!とまでは言えないけどね(笑)って。

家族と過ごして21年以上になるけど、昔から自分の気持ちとか、正直に話すことをしてこなかったな。

特別厳しく育てられたわけでもないけど、抑制はされていたような気がする。

勉強と習い事は昔からこの通りにしなさい、絶対しなさい。と言われてたな・・

テレビもロクに見せてもらえなかったから、今でもテレビを見る習慣がない。

だからテレビの話題になると、逃げたくなる。

ずっとずっと、公務員になりなさい。安心だから。って言われてきて何も考えずに

従ってきた。結局大学で、色々話を聞いてやめたんだけど。

 

バンドのサークルに入りたくて、ベース買おうと思うんだよね~って言ったら

どうせ続かないでしょ?って言われたな。

珍しく自分の意思を押し通したなぁ・・

 

大学入って、私は今まで、親や祖母が敷いてたレールの上を歩いてきたんだって思った。なんかの本で読んだ。自分で決断してこなかった子供は、自分に自信が持てないって。

就活の時も自分の選択にずっと自信がなくて、今もこれでいいのかずっと不安のまま。

親に相談したこともあるけど、うん。そうね。以上の返事が返ってこない。

だめだ、何言ったって無駄だと思ってそれ以来相談するのは止めた。

 

ああ、自己肯定感が低いのってこれに繋がっていたんだ。

「自分を愛せなきゃ人も愛せない」って言うのは本当だ。

自分を認めてこそ人も認められる。

 

今も人のこと愛した経験がない。

好きだと思っても、それ以上のことはないというか、この人を無条件に愛せると

思ったことはない。

 

自分の子供は無条件に可愛いというけど、それは絶対ではないと思う。

仮に私に子供ができたとしても、嫌いな自分の遺伝子を受け継いでほしくないと思うし、自分の血が半分流れてると思うだけでもゾっとする。

 

 

8月31日には超絶エモいことして死のうよ。

 

きっとこの時期から「若者のすべて」とか聴くんだ。

終わりがけに聴く「ラブホテル」もいいよね。

9月に入れば「セプテンバーさん」。

 

私は「22歳の夏休み」。

 

 

いつになってもきっとこう

就活と恋愛は一緒だと聞くけれど、本当にそうなのか? 

就活が始まる前に死のうとか思ってた。大学に入ったのはいいものの、特にこれといってやりたいことも見つからなかった。嫌いな言葉は、「社会貢献」「地域発展」。本当はそんなこと微塵も思ってないくせにってずっと思ってた。どれもこれも就活のためでしょってそんな風にしか思えなかった。かくいう私も、なぜこの大学に入ったか面接で聞かれた時には、「地域活性化のために~・・」とか言ってたくせにね。

 

そんなこんなでだらだら過ごしていても、嫌でも大学にいる限り就活からは逃げられなかった。ちゃんと将来したいことを持っていて、それに向けて勉強している友達もいたし、私と同じように、何がしたいかなんてわかんないよねって友達もいた。

大学って社会に出る前の猶予期間とかも聞くけど、まあその通りだよね。

大学で色々勉強していれば、何かしたいこと見つかるんじゃないかなって思っていたけど、全然そんなことはなかった。見つからなかった。私の学部、誰に話しても、何勉強するところなの?って聞かれる。その度に困る。

 

就活といえば、定番中の定番。ド定番な質問・・学生時代に力を入れたこと、自己㏚、志望動機・・etc。

定番のくせにこれらが一番苦しかった。私、何してたんだっけ。思い返すと、恋愛拗らせまくったこと、何であそこまで死にかけながら働いていたのかわからないバイトのことくらいしか出てこなかった。ゼミもこれといった活動はしていないし、サークルは幽霊部員だし・・。自分は何も得られなかったと痛感させられた。

自己㏚が一番苦痛だった。自分が嫌いな自分を、どうやってアピールしろというのか。粗悪品を売りつける店員の気分だった。

 

ちゃんと自分がやりたいと思える仕事がしたかったし、続けていくにはそれが一番いいと思って、自分の大学からは多分、進んだ人がいない、かもしれない業界を受けた。自分が好きなものだったから、好きなものを仕事にできるなら多少辛くても続けられるんじゃないかと思ったから。でも、だめだった。2社受けたけど、1社は筆記落ち、もう1社は1次面接落ち。面接官の、あの興味なさそうな態度は忘れないからな。

業界を変えた。接客のバイトをしていたから、人と関わる仕事にしようと、営業を受けてみた。今思うとそりゃ落とされるよなと。人見知り、コミュニケーションがそこまで得意でもない。大人しい性格。完全な自己分析不足。

そして私は先日事務職の内定をいただいた。

 

ころころと業界を変えてきたわけだけどいつの間にか、自分のしたいこと、から自分を受け入れてくれるところに変わっていた。内定はものすごくありがたい。やっともらえたのだし。結局、私は何を目標に就活をしていたのかわからない。

内定をもらうことがゴールだった。

 

就活中は、自己肯定感が地の底まで落ちる。落ちるというより、削られるといった方がいいかもしれない。自分の浅はかさ、他人と比べての劣等感、就活生のお手本みたいな人と一緒になると最悪だ。就職できなければ死ぬという謎の焦り、世間体・・

世渡り上手でコミュニケーション力の塊のような人は強い。

 

就活と恋愛は一緒じゃないと思うし、一緒であってほしくないな。

合わないのに一緒にいると辛いという点に関しては一緒かもしれないけど。

自己が殺されたり、相手にこびへつらって、偽りの自分を受け入れてもらおうとするなんて、そうであってはいけないと思うから。