ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

呪い

誕生日にブログを書くのは3回目。

いつまでこんなことをやるのかわからない。

23歳になった。

気がつけばまた歳を重ねていた。中身は何にも変わってないのに 外見だけ劣化していく。

 

ただ、あまり今年は鬱々としていない。

けれども若さへの呪いは着々と募っている。

 

死にたいと思いながら生きてきた。でも中々死ねなかった。 私はこれからもこんな風にだらだらと生き延びていくんだろうと思っている。

死ねたら死ねたで、ああ終わったなと思うのかな。

 

幸せだと感じられる人生が送れるようになれたらいいな

8月32日はなかった

8月31日に更新したかったけど気が付いたら日付が変わってしまっていた。去年も8月31日に更新していた。夏は別に好きではないけど、この日になるとちょっとだけ寂しい気持ちになる。ちなみに今、フジファブリックの「若者のすべて」を聴いている。

 

夏といったら楽しいイベントがたくさんあって楽しい季節だって一般的なイメージがあると思う。海水浴、夏祭り、花火など色々思い浮かぶ。今年もやっぱり夏らしいことは一つもできなかった。暑さに負けていたらいつの間にか終わっていた。今年ももわもわとした空気で現実を隠し続けた。

 

春はとっくに捨てたのに私にはまだ夏が来ない。

 

あっけなかった春、願ってもこない夏、先の見えない秋にきっと会えない冬

 

 

 

最近のこと

久しぶりの投稿。4か月近く投稿していなかったなんて。終わりのない暑さのように思われたけど、最近は涼しくてもう8月も終わりなんだと気づいた。今年はほとんどセミの声も聞いていないし、蚊を全く見ていない。

 

最近仕事の環境ががらっと変わって精神的に辛かった。私が一番クることは相手に失望されること。「え?サービス内容変わったの?そっかぁ、じゃあ・・」「できないならここじゃなくてもいいよね。」こんな言葉を嫌というほど聞かされたし、今まで私の存在を肯定していてくれた人もどんどんいなくなっていってしまった。私がこの仕事を続けていられる理由はこれに尽きる。承認欲求を満たすため。何でもいい、例えその場限りでも、身体目当てでも私を必要としてくれる人がいたから。そのためにこの仕事をしているといってもいい。

 

せっかく私を選んでくれたのにがっかりさせてしまった。相手は私を不必要な存在だと認識するだろう。何よりも辛かった。居場所がなくなってしまう、私の存在価値がなくなってしまう・・泣きながら待機をし、仕事中でも耐えられなくなる時もあった。

あ・・薬が効いてきた、眠い。

 

だから私、辞めたいって言った。ここにいたって私の精神が削られるだけ。若さの寿命は短い。若さという呪いからは逃れられない。だったら自分で何とか存在価値を取り戻すしかない。

だけど・・受け入れてもらえなかった。信頼していたスタッフもああ、所詮売り上げのことしか考えていないんだな、私たちはただの使い捨ての駒だってことが改めて感じられた。最近眠るのが難しいこと、出勤しようとすると動悸がしたり動けなくなったりすること、言いたくなかったけど言った。普通に突っぱねられた。何かが音を立てて崩れた。結局あなたも同じだ。

 

私たちの精神状態よりも売り上げの方が大事なんですねって言いたかった。結局やってもない人間にはわからない。結局どれだけ話しても決着はつかなかった。お前らは私たちを人間として見てないのか??

 

精神科に行っても何の意味もない。あの主治医は本当に勉強して精神科医になったんだろうか?ロクに話も聞かずきっちり料金だけ取って何も解決できていない。まあ、逃げている自分が悪いのも知っている。この人のおかげで、今心理系の資格の勉強をしている。もちろん、こんな精神科医にぼったくられる人を減らしたいと思ったから。できるかはわからないけど、少しでも役に立てたらなって思う。

 

入眠が難しくなり薬の量が増えた。睡眠に逃げたいのに逃げられない。やっと眠ると悪い夢ばかり。何かに追われ、夢でも仕事をし、殺されそうになる・・。

薬を飲む度に自分の身体が少し心配になる。死にたいくせに。

薬がかなり効いてきた。頭がぐるぐるする。眠気が襲ってくる。

 

人間と会うのがしんどい。仲のいい友達でさえも。ラインですらまともに返せない。だけどさみしい。恋人なんていてもメンタル悪化するだけだし、何より私のことをわかろうしなとしないでほしい。わからないでいてほしい。わからないならほっといてほしい。充実した生活を送っている友達がうらやましい。愛情をもらえる人が妬ましい。

無条件に愛されたい。

 

とてつもなく自分を傷つけたい。これ以上傷を広げたくない。もっとぼろぼろになりたい。そんなことしたってめんどくさいメンヘラ女として片づけられるだけ。

 

終わりがない辛さ。ずっとここに閉じ込められている気がする。

起きても起きてもただ同じ。「それは昨日の続き 頑張れない」

 

 

 

春なんてこなければいい

Twitterで「新入社員」「新卒」「入社式」などというワードを何回検索しただろう。街中ですれ違う新入社員らしき人とすれ違うたび目をそらした。私もその一人のはずだった。4月1日は気分も体調も最悪だった。身体が動かないってこういうことなんだと驚いた。

 

追い打ちをかけるように親からは制服の写メを祖母が欲しがっているとか、祖母にはなんて言うかとか、そんなLINEがきた。スマホを投げ捨ててやりたくなった。私は就職してないんだから。

 

就職することが全てだとか、正解だとかではないと思う。(思いたい)でも、やはり大抵の人は大学を出て就職するしそれが一般的となっている。それが社会のレールだと言うならば私は社会のレールから外れてしまっているのだ。いい成績をとっていい大学に行っていい会社に勤めなさいと言われてきた私にとって、呪いにでもかかっているようだ。

 

2回目の精神科では抗うつ剤を処方してもらった。セルトラリンというSSRIなるものらしい。この辛い気持ちから解放されたい。この薬を飲めば少しは楽になるのだろうか?鬱々した気持ちはなくなるのか?半信半疑だったけど藁にも縋る思いで飲んでみた。睡眠剤も続けてもらった。今思えば、受診当時特別に不眠というわけではなかったからいらなかったのでは・・?

 

3割の人に吐き気や胃のむかむかといった副作用が出るらしい。見事にその3割に入ってしまった。4日ほど胃が気持ち悪く、吐くまではないがとにかく気持ち悪い。最初は吐き気止めも効かなかった。今は気持ち悪さは消えたが、食欲があまりない。食事が義務的だ。

 

精神的な効果だが、気分がフラットになったと感じる。前のようにドンと落ち込んだり、すごい孤独感や不安感が沸き上がってくるなんてことがなくなった。この薬のせいかはわからないが、今まで好きだったものに興味が薄れた。良くも悪くも気分が平坦だ。私は抜け殻になってしまったのかと思う。希死念慮すらも感じなくなった。良いことなのかもしれないけど。

 

眠剤は効き目がすごかった。寝る前に焦燥感に襲われてもこれを飲めばいつの間にか意識がなくなっている。寝ているというより気絶といった方がしっくりくる。起きてよく寝たなぁって思うことが懐かしい。今まであんまり睡眠で悩むことはなかったのだが、早く起きすぎたり、途中で目が覚めたり、あまり眠れないのは気持ちのせいなのだろうか・・。手離せなくなる気がして怖い。

 

私の感情はどこにいったんだろう。全部薬でコントロールされてしまっているのだろうか・・と考えると何で生きているんだろうと思う。もちろん辛くて死にたくて泣いてばかりの辛い日々も、もう生きてるのが嫌だと思っていた。毎日死にたいと思いながら生きたくなかった。でも今は私が別の人になってしまったように感じる。最近は自分が誰かよくわからない。

 

自分を確かめたくて未だに自分を傷つけたくなる。今の仕事をしてなかったらしてたと思う。

 

春は嫌いだ。暖かい空気が焦燥感を掻き立てるし、何かが許されそうな気がする。みんなそれぞれスタートしていくのに、私だけが止まったままだ。つい先月まで一緒の大学で過ごしていた友達はどんどん先に行ってしまうのだ。自分が逃げたせいなのに、自分が選んだことなのに、今さら何を悩んでいるのか。

 

実家に帰ることもできない。わかってもらえるとは思わないけど言ってしまいたい。全部全部全部ぶちまけたい。でもそうしたらみんなを傷つけることになるでしょう。全部なかったことにしたい。どうせ何もない人生だったんだから。

 

毎年春は嫌いって言っている。

 

卒業式

大学を卒業した。ただそれだけのこと。早起きして着付けやらした割に1時間30分足らずで式は終わったし、偉い人たちの話はほぼ覚えてない。1つだけ覚えてるのは、後援会の代表が話した「大学生の時期は立ち止まる時期であってもいいと思うんです。」くらいかな。

 

私は立ち止まるどころか後退してしまった。大学に入る目的も、大学で得たことや過ごした時間、活動、人付き合いは人それぞれで比較的自由だからこそ主体性が求められる。私はぼやっと入学しなんとなく過ごしたから卒業した実感もわかないのだろうか。

自分のやりたいことを見つけるために大学に入った人たちも、大学生活で何かを見つけ就職していく、そうできればよかったのだろう。

 

4年生は講義もなく学校に行くこともなかったから、いつも絡んでいた友達グループが全員集まったのは卒業式が久しぶりだった。何も変わらないはずだったのに、5人集まるとやはり疎外感を感じてしまう。気を使って話を振ってくれるのがわかってしまった。こんなんじゃなかったのにな。人見知りあるあるだと思うんですがどうですか?

 

5人中3人は県外から来ている人だし、中高と顔なじみ同士なので当然親同士も仲が良い。余計に感じる疎外感。大学の卒業式って意外と親も来るんだな。来なくていいと言ってたから当然来なかった。袴姿の写真だけ送った。初対面の人と上手く話せない。もごもごして何だこいつって思われてるんじゃないかと不自然になってしまう。最悪。

 

クソみたいな偶然というか、見事に元カレ2人が視界に入った。1人にはめちゃくちゃ気まずそうな顔された。恋愛拗らせた原因となったもう1人は視界に入っただけだった。卒業式の日に殺してやりたいなって思ってたのにね。

 

「久しぶり!これからどうするの?」何げないフレーズだけど私には重かった。水商売で過ごしていくなんて言えるわけないだろ。「地元で就職するよ~」なんて言っちゃったよ。嘘だらけの大学生活でした。

 

活動のほぼないゼミだったから式後の集まりも、サークルも途中で辞めたから追いコンもなく、うらやましいななんて思いながら帰った。家に帰って虚しかった。きっと今まで仲良くしてくれてた人たちも、これから会うことはないのかもしれないなって思った。みんな新しいコミュニティで新しい関係を築いていく。たまに昔の友人に会いたくなっても私のことは思いだしてくれないだろうな。

 

私は誰かの記憶に残ることができたのだろうか。その場しのぎのものだったのではないだろうか。誰も信じることができないのは苦しい。

 

容赦なく過ぎていく時の流れが怖い。それなりの中身にならなければいけない。周りにどんどん置いて行かれてしまう。もうすぐ大嫌いな4月だ。

私は学生という保証された社会的身分を卒業しました。

精神科に行ってきた

やっと精神科に行けた。行く前はドタキャンしようかとか考えてたけど、相変わらずメンタルボロボロで生きているのが辛すぎるから救われたいと思って向かった。天気がよくてよかったと思う。

 

小さい病院で私が来てから3人ほどしか来なかった。待ち時間も長くなく、問診票を書き何から話せばいいか考えていた。自傷のこととか言うと薬くれないんじゃないかとか、それは甘えだと怒られるんじゃないかとか。診察室は想像とは違って面談室みたいな感じだった。先生も私服でびっくりした。30代後半くらいの男の先生でちょっととまどってしまった。

 

出身地から現在の環境、家族構成などを聞かれ、いつからこんな症状があるかを聞かれた。そこから気分のグラフを書かされたり・・バイトのこととか。質問攻めにされるということはなく、焦ることはなかった。そういえばずっと気分が沈んだままだと思ってたけど、大学受験からアムカも始めてそこから落ちていったんだなって思いだした。きっと受験のプレッシャーに負けたんだな、なんて話してるうちに気づくことも多かった。

 

精神科医はカウンセラーではない。というのはネットで見ていたけど確かにそうだった。淡々と私の大まかなことを聞き、メモして「そうなんだね~」と肯定も否定もしない感じで話を聞いてくれた。否定されないだけいいが、全部話せなかったのもあって本当に伝わってるんだろうか・・と思った。何か劇的に変わると期待しない方がいい。これほんと。

 

とりあえず薬を使うか使わないか、環境をどうにかできそうか、考え方を変えていくことを考えようねと言われた。どうやら私は社会不安障害というものらしく(ネットで診断したらぴったり当てはまったのでやっぱりねと思った。)これによる鬱の可能性もあるらしい。精神病には明確な判断基準がないので、診る先生によって診断結果も変わるし断定も難しいらしい。

 

社会不安障害は元々の気質や性格も関係するけど、抗うつ剤で治すこともできるのだとか。当たり前だけど薬だけじゃ治せなくて、その人の根本的な部分をどうにかしないといけないとは思うが、少しでも楽になりたくて抗うつ剤睡眠薬を3種類もらった。一気に飲んでしまいそうで怖い。

 

あとは環境だけど、話せる人を作った方がいいと言われた。親より友達の方が話せる。これも今日話して改めて思ったが親と面と向かって真剣に話したことがない。そもそも親の過去とか詳しく知らない。家族として一緒にいても本当に家族なんだろうかとか思った時もある。先生が「家族がみんなよいかかわりをしてくれるわけではない。」と言っていた。家族に話すべきか・・せっかく大学まで行かせたのにとか思われるんだろうな。私の育て方がいけなかったのねとかも思うだろうなぁ。

 

最後に「私は何なんですか。性格の問題ですか?」と聞いた。このずっと辛い気持ちが続くのは頭がおかしくなったのか、元々気にしやすい性格なのか・・自分が今どんな状況なのか知りたかった。居場所が欲しかった。そしたら社会不安障害で~・・の答えが帰ってきたわけ。

 

救いを求めて精神科を訪れたが、全部を助けてくれるわけではない。結局は自分が闘わなければならない。薬を飲んだって少しは症状はよくなるけど一時的なものにすぎないと思う。

 

でも、今日は話すことで自分の中ですっきりした部分があったように感じた。これからの予定詰め詰めで憂鬱。そんな気力も体力もない。キャンセルしたい。薬いっぱい飲んだら死ねるかな。またこんな風に考える・・

 

 

 

 

世界が灰色だった日

2日連続でブログを更新するのは久しぶりだ。ここ最近気持ちが不安定だ。どこかに吐き出したいし今の気持ちを書き留めておきたいから許してほしいです。

 

最近は朝方に寝て昼過ぎに起きる生活をしているので世界の動きについていけなくなった。気づけば暗い。外を歩く人もいなくなっている。また取り残されてしまった。今日(昨日)は起きてすぐにメンタルクリニックに電話をした。心臓がばくばくした。こんなに気が遠くなりそうになったのは就活の時以来かもしれない。

 

毎晩毎晩涙をぼろぼろ流すことに耐えられない。希死念慮に囚われる生活は嫌だ。この寂しさから救ってほしい。という藁にも縋る思いで電話をした・・。主治医との相性によって口コミは変わると思ったがとりあえず近くの比較的マイナスな口コミが少ない病院を選んだ。

 

結局1か月待ちらしい。本当は今すぐにでも行きたかったがなかなか予約も取れないと聞くしそこに決めた。しかし、やっぱり私なんかがメンクリに行っていいのか?キャンセルしようか、なんて思い始めている。世の中にはもっともっと辛い人もいるだろうに私が行っても甘えだと言われないだろうか・・。

 

メンヘラだという言葉で片づけられる、私はメンヘラなんだという言葉で納得してしまう、そんな人はたくさんいると思う。メンヘラはステータスだなんてあるか、辛いんだこっちは。

 

本当にそろそろ解放してほしいんだよ。無意識に電車を眺めたり、大通りの車を眺めたり、歩道橋から下を眺めるそんな日常はもう嫌だ。Twitterのリア垢もキラキラインスタも見ることができない。同窓会も卒業式も行きたくない。劣等感に殺される。

 

低気圧のせいもあって体調が最悪だった。薬局に行こうと外に出たけど、人の目がこんなに怖かったのは初めてだ。私の顔に何かついているのだろうか、ブスだから見られるのだろうか、服装が変だっただろうか?ひたすら目線を下に歩いた。眩暈もした。少しずつ自分が社会から外れていくと感じた。怖い。タバコも美味しくなくなった。

 

もうすぐ本格的な就職活動が始まるんだなぁとスーツ姿の学生を見て思った。私は就活を失敗した、というかそもそも就職に向いていなかった、いや社会に出ていけるだけの人間的な能力がなかったのかもしれない。

 

高校までは勉強も習い事も頑張って、ちゃんと大学に行くことが目標だった。高校の時は自分で言うのもあれだが成績はよかった。優等生という立ち位置だった。大人しくて良い子というイメージ。家でも特に祖母が勉強にうるさくて、テレビなんて10分も見られなかった。良い成績をとれば褒めてくれた。家族も先生も期待してくれていた。テストや模試は順位を落とさないように必死だった。

 

無事希望の大学に入学できたのはいいものの、大学は同じくらいの能力もしくは自分よりも頭のいい人たちばかりで、今まで私を形作っていたものがなくなってしまった。「いい成績をとれる私」というものが私の骨格だった。10年続けていたピアノも、バイトを始めてからはやめたから本当に私を作るものがなくなってしまった。私は一体何なんだろう。何のために大学に来たんだろう?そればかりずっと思っていた。

 

そもそもなりたいものなんてなかった。「公務員になれば安泰よ」という祖母の口癖を聞いてきて、じゃあ公務員を目指せる大学にしようとかいうぼんやりとした動機だった。だから、本当に公務員になりたいのか?を考えた時にあっさりとやめた。

 

じゃあ将来どうしようと考えてもやりたいことはやっぱり思いつかない。就活の時期は嫌でも嫌というほど大学生活や自分自身を見つめさせられるが、本当に何もなかった。サークルも途中で行かなくなったし、これといったゼミ活動もなかったし、履歴書が埋まらなかった。資格も特に書けるようなものはなかった。

 

私は空っぽだった。この大学生活で何も得られなかったのだと痛感した。唯一頑張ったことと言えばバイトだけど、それじゃみんなと変わらないって言われるんだから、もうネタがないですわ。もっと何か活動をしていれば、と思ったけどそんな情熱はなかった。あっ、一度だけボランティアをした。

 

周りの就活生、本当に同学年?と思った。何であんなにしゃべれるんだ、そんな経験もしてきたんだ・・あの時は劣等感しか感じなかった。自分がゴミにしか思えなかった。面接官の目が「こいつだめだな」って言ってるようにしか思えなかった。

 

落ちに落ちまくって、毎日メールが来ないかそわそわして、サイレントお祈りするところにはダイナマイトでもしかけてやりたいなんて考えてとにかく焦燥感がすごかった。ようやくもらえた内定も、色々条件が合わず辞退してやりたいことを自由にやるぞなんて言って今現在に至るわけです。

 

やりたいことを仕事にできるのは一握りだ。とか好きなことも仕事にしたら嫌になった。なんて言葉は耳にタコができるほど聞いた。最初はわからなかったけど今となってはそうだなって思い始めた。好きなことは趣味に留めておくべきだという領域もあると実感した。それと人間はどこまでいってもないものねだりだ。結局全てに満足する答えなんて絶対ない。

 

さてこれからどうしようか。社会のレールから外れてしまった。怖くないと思いたいがどうしてもどこかで不安と恐怖がある。私の人生はいつもこうだ。

 

街路樹の根本がコンクリートで固められてて木が苦しそうだなと思った。世界が灰色だった。天気のせいか、脳みそがバグったか。前を歩いていたキャリアウーマンらしき人を見て雲の上の存在に思えた。手帳を眺めてここの予定が達成できるかわからないなと悲しくなった。

 

世界にもやがかかっている。