ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

クソカワいくて、クソ最高だった

クソカワparty行ってきた。

大森靖子ちゃん。本当に目の前にいたんだ。

ライブって初めてで、しかも一人だったから不安もあったけど、メンタルもガタガタだったけど…   本当に靖子ちゃんの音楽は生で聴かないといけないと思った。

 

実はもう行きのバスでも泣きそうで、ライブ会場で始まるの待ってる時も泣きそうでずっと泣きそうだった。 

案の定、靖子ちゃんが登場した瞬間ボロボロ涙が出てきた。

 

後ろの方だったからギリギリ顔が見えるくらいだったんだけどでもそれでも、本当に同じ空間に、数メートル先に靖子ちゃんがいたんだ。

 

靖子ちゃんの音楽は毎日聴いてる。

どんな感情も闇の中から取り出して歌ってくれる。肯定してくれてる気がするんだ。

全部全部全部歌ってくれる。

 

死にたいって毎日のように思うし、自分の存在価値なんかないって思ってるけど、今日靖子ちゃんが 自分を大切にできるのは自分しかいない、ちゃんと肯定してあげてって言ってくれた。生きててくださいって言ってくれた。

 

靖子ちゃんは神様ではないって言ってたけど

私にとっては神様だった。

ラストの曲、本当に言葉にできないようなエネルギーを感じた。

大げさだと言わないでほしい、神様を見た。

 

一体何人の人を救ってきたんだろう。

本当に本当にライブに行ってよかった。

なんだか夢だったのかなあなんて思うくらい。

でもちゃんとグッズがあるから行ってきたんだよね。

 

一曲一曲にいろんな思いがあるから終始泣きっぱなしだった。

あーあ、おかげで二重幅が死んでしまったよ。

 

寝てしまうのがもったいないな。

 

靖子ちゃん、私を生かしてくれてありがとう。

って、本当は直接伝えたかった。

 

あなたの音楽が私の命綱ですって。

 

死ぬまで聴き続けるよ。

 

靖子ちゃんが1番可愛いよ!

 

ピンク色

来月、初めてライブに行くんだ。

今までこんなドハマりしたアーティストがいなくて。

 

死ぬ前に一度、彼女の容赦なくぶちまける心の叫びを生で聞いてみたかった。

私をここまで生かしてくれてありがとう。

あなたの歌があったから今まで生きてこられたと、ライブに行くことで伝わるかもしれないと思った。

 

彼女のどんな経験が、あのような歌詞を書かせるのだろう。

きっとそれを聞いたって、歌を何百回何千回聴いたって全てを理解することはできない。その人の経験はその人のものだし、その人が感じたことが全てだし、一番伝えたい気持ちほど、言葉なんかじゃ伝えきれないと思う。

 

彼女は痛いくらいに自分と向き合っていると思う。

一般に触れられないところを引きずり出して、それとの葛藤を苦しいくらい歌っている。

人間の心の中の、何重にも守られた黒いものを引きずり出して、目を背けなくてもいいと言ってくれている気がする。

 

何よりも、彼女には世界がある。

彼女の中の女の子は、素直で純情で真っ白ではない。

儚くて壊れかけててマーブル色。

彼女の世界はきっと誰にも侵略できない。

触れようとするとはじかれるような、独立した、彼女だけのもの。

これはあたしの世界、あたしはあたし。って言っているよう。

彼女はきっと絶望しているんだと思う。

絶望と闘いながら歌を歌っている。ぶっ壊したいんだ。

 

色々曲についても書きたいけど、2つに絞る。

1つ目。社会に殺されゆく世界を歌っている気がする。

前へならえの社会に自分が殺されて、私はそれを救いたいのに異端扱い。

自分を殺すような社会なら、社会なんていらない。

私は私のものだ。誰にも犯させない。そんな風に思わせてくれる歌。

曲のタイトルはきっと本人のことなんだろうなぁ。

 

2つ目。1年以上ほぼ毎日聴いている、一番お気に入りの曲。

いつか絶対、見返してやるからなって気持ちになれる。

ゆめゆめかわいいピンクと女子力ピンクの違いってなんだろうね。

私、この曲をお葬式で流してねって遺書に書くつもり。

 

ギター一本で色々なものと闘う彼女が好き。

私たちを受け入れつつも拒否してくるところも好き。

 

クソカワParty、可愛いってなんだ。

みんなが知ってる国民的キャラクターでも、有名なモデルでもアイドルでもなく、

ぐちゃぐちゃで汚いものが可愛い。

イメージ的にはそんな感じ。

 

楽しみだなぁ。どんな風に歌ってくれるんだろう。

彼女にとっての音楽はなんだろう。絶対あの続きは言わないんだろうけど

聞いてみたいなぁ。

私にとってあなたの音楽は命綱です。

 

 

1年経ってたらしいよ

9月7日は、大好きな大好きな佐久間まゆちゃんのお誕生日ですよ。

・・あれ?去年も同じこと書いたなぁ・・

ということで1年経ちました。

ちょうどインターンシップ真っただ中で、何か自分の思いを吐き出せるものを作らなきゃと思ったのがきっかけだったと思います。

 

さて、1年記念に何かいいネタはないかなと思っていたけど、このブログ、見返すと

死にたいとかセックスとか自己肯定感しか書いてないな。

まあ、私の頭の中それしかないんですよね。

他に好きな物をあげろと言われたら、コスメ、お菓子、本だけど・・

どれも語れるほどの知識がないです!

 

なので、やっぱり今回も今まで通りにいきたいと思います!

 

先日、卒論用の本を借りに久しぶりに学校に行った。

せっかく1時間かけて来たし、他の本も読んでみようと思ってぶらぶら歩いてた。

手に取ったのは、身体を売る人、買う人 みたいな本と、なぜ人間は自殺するのか

という本・・(タイトルはうろ覚え)

 

やっぱりこういう本手に取ってしまうんだなぁ。一人でよかった。

まず1冊目の身体を売る、買うの方だけど、正直よくわからなかった。

だって売春も不倫もしたことないし。

ただ、「労働としてのセックス」という言葉だけ覚えてる。

風俗のことだろう。

周りに言ってもきっと理解してもらえない(言えないけど)と思うけど、私にとって自分の「性」って、自分とは切り離されてるように思う。

確かに自分の身体なんだけど、道具なんだ。ド〇クエでいうなんとかソードみたいなもの。

主人公そのものが自分自身とするならば、武器が性。

こんな風に感じてる。

だから、周りに簡単にヤるのやめたら?とか身体大事にしなよとか言われても

全く響かない。

装備を捨てろと言われましても・・って感じ。

 

その本にもう一つこんなことが書いてあった。

「承認されたいからセックスをする」

まさに私これなんですけど、と思った。待てよ、これさっきのド〇クエと逆のこと言ってるよね?

だってこれは性を通して自分自身を認めてもらおうとしてるじゃん。

身体しか必要とされてないのに、私自身も必要とされてるって錯覚する。

寂しくなったら誰でもいいからヤりたくなるの、これだもんね。

 

ほんと、自分の性を都合よく使ってるよなと思う。

 

2冊目。なぜ自殺をするのかという本。

色々書いてあったけど、自分なりにまとめると・・

「自殺は自己愛が強すぎる故に実行する。」

「死ぬ本能などは存在しない」

自己愛が強すぎて自殺って意味わかんない、自分が嫌いだから死ぬんでしょ、と思った。この本曰く、こんな自分でいること(失恋してみじめだとか、困窮した生活を送ってるとか)に耐えられなくて、こんな世界に生きていられないと思うんだって。

それでこの世界を変えたいけど、簡単に世界を変えられないから、破壊したいと思う矛先が自分に向くんだと。それが自殺。

死ぬ本能が存在しないっていうのは、生きる本能しか存在しないことらしい。

人間が自殺するのは、死にたいと思うんじゃなくて、もっと楽な別の世界に行きたい、そこで生きたいと思うからなんだって。

人間の生きることへの執着にはドン引きする。

ネットで見たことだけど、死ぬ間際に見る走馬灯は、目の前の死を回避するための方法を、今までの記憶をフル回転させて探すためらしい。

超引いた。

 

この本の結論部分読んだらがっかりした。

生命がある限りは希望があるとか書いてあるから。

私はこんな言葉見るためにこの本読んだわけじゃないのに。

 

でも、自分が欲しい言葉がわからない。

なにを肯定してほしいのか・・

死にたいと思う自分を肯定してほしいのか?

 

 

・・・

こんなブログですが、読者になってくれた方、スターつけてくださる方がいて

本当に嬉しく思います。ありがとうございます!

これからもまたなんか言ってんな、と思いながら読んでくれると喜びます。

 

 

 

夏休みの日記

気が付けば、夏のせいにできなくなりそうだ。

あんなに鬱陶しかった蝉の声だっていつの間にか聞こえなくなってるじゃないか。

どこいったのかな、死んだのかな。

 

8月31日といえば、夏休みの終わり。

夏が嫌いになったのはいつからだろう。インスタグラムやTwitterを見るのが

苦しくなったのはいつから?

SNSの投稿なんて、日常の、絶頂の部分を切り取っているだけというのは

わかっているけど、絶頂を迎える過程にも至らないから、僻みだと思う。

夏、といえば楽しくてキラキラしたもの。だという観念に縛られてしまうから苦しいんだと思う。

夏は嫌い。暑いし、日焼けするし、汗でべたべた、化粧はどろどろになるし。

夏は嫌いでも、夏の終わりだけエモい気持ちになるのはなんでだ。

 

夏って一番騒がしくてごちゃごちゃしてる季節だと思う。

空気は夜になっても静かじゃない。どこかしらで花火の音もするし。

だから、それに紛れて色々ごまかしてしまうんだと思う。

まあ夏だしいっか。

どうせ、この夏が過ぎたら、忘れてしまうんでしょ?

そして、秋になったらそれに殺されるんでしょ。

夏に買ったもののツケを払わなきゃね。

 

毎年夏に思うこと。

夏が終わるまでに死のう。

夏だから、死んでしまっても、色んなものに紛れてばれない気がする。

きっと死んだ音は、かき消されて誰にも聞こえないだろう。

 

かき氷食べてないし、花火もしてない、夏らしいことしてないから

夏考えたことでも書こう。

 

人を愛するってどういうことだろう。

家族でさえも時々、この人たちは誰なんだろうと思うことがある。

仲が悪いわけでもないし、特別何か問題があるわけでもない。

友達に、「ねえ、自分の周りのこととか、どれくらい家族に話す?」

って聞くと、大抵は結構深くまで話してるって言う。

まあさすがに、今日ヤらかしちゃった!とまでは言えないけどね(笑)って。

家族と過ごして21年以上になるけど、昔から自分の気持ちとか、正直に話すことをしてこなかったな。

特別厳しく育てられたわけでもないけど、抑制はされていたような気がする。

勉強と習い事は昔からこの通りにしなさい、絶対しなさい。と言われてたな・・

テレビもロクに見せてもらえなかったから、今でもテレビを見る習慣がない。

だからテレビの話題になると、逃げたくなる。

ずっとずっと、公務員になりなさい。安心だから。って言われてきて何も考えずに

従ってきた。結局大学で、色々話を聞いてやめたんだけど。

 

バンドのサークルに入りたくて、ベース買おうと思うんだよね~って言ったら

どうせ続かないでしょ?って言われたな。

珍しく自分の意思を押し通したなぁ・・

 

大学入って、私は今まで、親や祖母が敷いてたレールの上を歩いてきたんだって思った。なんかの本で読んだ。自分で決断してこなかった子供は、自分に自信が持てないって。

就活の時も自分の選択にずっと自信がなくて、今もこれでいいのかずっと不安のまま。

親に相談したこともあるけど、うん。そうね。以上の返事が返ってこない。

だめだ、何言ったって無駄だと思ってそれ以来相談するのは止めた。

 

ああ、自己肯定感が低いのってこれに繋がっていたんだ。

「自分を愛せなきゃ人も愛せない」って言うのは本当だ。

自分を認めてこそ人も認められる。

 

今も人のこと愛した経験がない。

好きだと思っても、それ以上のことはないというか、この人を無条件に愛せると

思ったことはない。

 

自分の子供は無条件に可愛いというけど、それは絶対ではないと思う。

仮に私に子供ができたとしても、嫌いな自分の遺伝子を受け継いでほしくないと思うし、自分の血が半分流れてると思うだけでもゾっとする。

 

 

8月31日には超絶エモいことして死のうよ。

 

きっとこの時期から「若者のすべて」とか聴くんだ。

終わりがけに聴く「ラブホテル」もいいよね。

9月に入れば「セプテンバーさん」。

 

私は「22の夏休み」。

 

 

いつになってもきっとこう

就活と恋愛は一緒だと聞くけれど、本当にそうなのか? 

就活が始まる前に死のうとか思ってた。大学に入ったのはいいものの、特にこれといってやりたいことも見つからなかった。嫌いな言葉は、「社会貢献」「地域発展」。本当はそんなこと微塵も思ってないくせにってずっと思ってた。どれもこれも就活のためでしょってそんな風にしか思えなかった。かくいう私も、なぜこの大学に入ったか面接で聞かれた時には、「地域活性化のために~・・」とか言ってたくせにね。

 

そんなこんなでだらだら過ごしていても、嫌でも大学にいる限り就活からは逃げられなかった。ちゃんと将来したいことを持っていて、それに向けて勉強している友達もいたし、私と同じように、何がしたいかなんてわかんないよねって友達もいた。

大学って社会に出る前の猶予期間とかも聞くけど、まあその通りだよね。

大学で色々勉強していれば、何かしたいこと見つかるんじゃないかなって思っていたけど、全然そんなことはなかった。見つからなかった。私の学部、誰に話しても、何勉強するところなの?って聞かれる。その度に困る。

 

就活といえば、定番中の定番。ド定番な質問・・学生時代に力を入れたこと、自己㏚、志望動機・・etc。

定番のくせにこれらが一番苦しかった。私、何してたんだっけ。思い返すと、恋愛拗らせまくったこと、何であそこまで死にかけながら働いていたのかわからないバイトのことくらいしか出てこなかった。ゼミもこれといった活動はしていないし、サークルは幽霊部員だし・・。自分は何も得られなかったと痛感させられた。

自己㏚が一番苦痛だった。自分が嫌いな自分を、どうやってアピールしろというのか。粗悪品を売りつける店員の気分だった。

 

ちゃんと自分がやりたいと思える仕事がしたかったし、続けていくにはそれが一番いいと思って、自分の大学からは多分、進んだ人がいない、かもしれない業界を受けた。自分が好きなものだったから、好きなものを仕事にできるなら多少辛くても続けられるんじゃないかと思ったから。でも、だめだった。2社受けたけど、1社は筆記落ち、もう1社は1次面接落ち。面接官の、あの興味なさそうな態度は忘れないからな。

業界を変えた。接客のバイトをしていたから、人と関わる仕事にしようと、営業を受けてみた。今思うとそりゃ落とされるよなと。人見知り、コミュニケーションがそこまで得意でもない。大人しい性格。完全な自己分析不足。

そして私は先日事務職の内定をいただいた。

 

ころころと業界を変えてきたわけだけどいつの間にか、自分のしたいこと、から自分を受け入れてくれるところに変わっていた。内定はものすごくありがたい。やっともらえたのだし。結局、私は何を目標に就活をしていたのかわからない。

内定をもらうことがゴールだった。

 

就活中は、自己肯定感が地の底まで落ちる。落ちるというより、削られるといった方がいいかもしれない。自分の浅はかさ、他人と比べての劣等感、就活生のお手本みたいな人と一緒になると最悪だ。就職できなければ死ぬという謎の焦り、世間体・・

世渡り上手でコミュニケーション力の塊のような人は強い。

 

就活と恋愛は一緒じゃないと思うし、一緒であってほしくないな。

合わないのに一緒にいると辛いという点に関しては一緒かもしれないけど。

自己が殺されたり、相手にこびへつらって、偽りの自分を受け入れてもらおうとするなんて、そうであってはいけないと思うから。

 

踏み入れてはいけない思考回路

何も予定がない休日の夜は死にたくて仕方なくなる。

何もできなかったとか 誰とも話してないとか 自己嫌悪。

 

Fさんの『真夜中乙女戦争』を少し読んだ。

「世界で1番危険な行為って、何だと思いますか。」

 

私が嫌いな何も予定のない休日。

もちろん、前の日はものすごく疲れてて今日は休みたいなんて時はありがたい けど夕方頃になれば

今日もっと何かできたのではと自分を責め出す。

夜になると、この20代前半という時期に1日ひきこもってもったいない 無駄に消費してしまった。とどうしようもなく悲しくなる。

 

なぜ生きているのかわからないとよく思う。

きっと死ぬまで いや死んでもわからないと思う。

永遠の疑問だと思う。

人生は消費活動。時間を消費しお金を消費し体を消費し… 減ってゆくものをじっと見つめているのが耐えられない。

 

なぜ生きているかと考えるのか。

自分を正当化したいか、 自分のしてきたことに本当に意味があったのか知りたい、つまり自分を丸ごと肯定してほしい。

今もこうやって、生きている意味を教えてほしい。

 

気がつけばこの世に存在していて、学校で勉強し、働く… そして死ぬ。

この活動に何か意味があるのだろうか。

何か意味がなければ、やりたくないことを我慢してやって、辛いことに耐えて、漠然とした人生に這いつくばって、なんてことできないし、やっていられない。 それこそ本当に絶望だ。

 

意味があるということは希望なのでは。

 

自分がやっていることに意味があると思うからこそできる。きっと、きっといつかはわかる。報われる。と信じているからこそできるわけでしょ。

 

意味を求め続けなければ人間は生きていけないし

絶望の中で死んでしまうのだろうな。

だって、無意味なものの中で、無意味なことをし続けているだなんて知ったら何もしたくなくなるでしょ。

 

私たちに、希望はあると思う?

 

 

 

体と身体

どうして自分の身体を売ってはいけないんですか?

という問いに何と答えてくれますか。

なぜこの仕事を始めたんですか?と聞かれたら

狂った貞操観念を生かしたいことと 若いうちにできること(若くなくてもできる仕事ではありますが独身が望ましいでしょう)をしたかった ありあまる性欲の捌け口が欲しかった。と答えるはず。

でも1番は、現実逃避。

何か知らない世界に、背徳感のある世界に行ってみたかったんだと思います。

他の人の知らない自分になりたかった。

他の人の知らない世界に行きたかった。

 

この仕事をしているってことは誰にも言っていません。墓場まで持っていくってこういうことなんだなあとしみじみ思っています。

 

でも、この仕事が悪いとかそんなことを言ってるわけじゃありません。個人の価値観ですから。

 

身体を売る 体を売る

漢字を変えると意味が違うように感じませんか。

前者はそれ自体を捧げるような

後者はそのものではなく、労力を捧げるような

個人的な考えかもしれませんが。

 

この仕事は、どっちだろう、きっと前者です。

 

「仕事ばかりだけど、体も大切にね。」と言うのは健康を気遣ってね という体そのものを大切にということだけど、

「もっと自分の身体大切にしなよ。」と言うのは

誰にでも自分の身体を許すなよってことでしょう。

 

「身体を大切に」の意味がずっとわからなかったんです。私は自分の意思で寝てるわけだし身体を売ってるわけだし、それがなぜ大切にしてないことになるのか、わからなかった。

 

最近思ったんですよ。

「身体」ではなく、「時間」なんじゃないかって。

あ、これは誰とでも寝るときに言われる状況に限ります。身体を売るのは仕事だから、時間を無駄にしているわけではないですからね。労働です。

 

あなたがテキトーな男と寝てるその時間で

美味しいものが食べられたかもしれないし、美容の時間に当てられたかも、はたまた友達と楽しい話ができたかもだし、いい出会いがあったかもしれない… と考えたら、次の日には顔も忘れてるような男と寝るのは時間を無駄にしていたってことなんじゃないかなって。

うん、こう言われると私でも、大切にしようと思います。

 

次、仕事として身体を売る場合ですが…

労働ですから、時間を割き働く代わりに、お金を貰っているわけです。 提供しているものは?

労力…そのほかには…自分の性…??

羞恥心は捨ててしまったし、誰のでも関係ないし、

自分の中で守っていたものを売ってしまったわけです。お金じゃ取り戻せないものを。

身体を大切にじゃなくって、「持っておくべきものはちゃんと持っておきなさい」と言ってくれたなら

ああ、そうかと思ったかもしれません。

 

でも今更、いいんです。

自分の承認欲求が満たされて お金ももらえて

さみしい時間を埋められるなら。

 

いつか、後悔する時が来ますか?