mayus’s diary

可愛いものに囲まれていればそれだけで

首吊り自殺

今まで生きてきた世界こそがこれからも自分の世界であることはなかった。

生まれてからずっと家庭、学校等で育てられてきた 身体的にも精神的にも。

今思えば教室というのは思想の監獄だった。意見を持てと言われても、みんなと同じ一般的な考えでないと否定されるし、集団の空気に殺される。

学校での教育は思想の統一だと言われるが、実際、統一されている側も統一する側も意識がないのだから、それが一番怖いと思う。

この考えが正しくてむしろこれ以外にはないと思っていたし、多分、先生だってこの考えこそが正しいと信じていたのだから。

 

この歳、といってもまだ21だけど、大学に入ってから考える幅は広がったように感じている。たくさんの人に会って色んな生き方や考え方を見た。

更にSNSでは更にもっと多くの人の考え方を見て、色んな音楽を聴くようになって、歌詞を読むようになった。

 

昔、縛られていた価値観は何だったんだろうと思う。

いい成績をとっていい会社に入り、友達をたくさん作り、恋人を作り結婚、子供を作って幸せに暮らさなければならないとか。

 

あなたは何もできないんだから家を離れないでね、とか私の言うことを聞いていれば間違いないのよ、とか思い出すと吐き気がする。

 

どうせ私の人生で、私の命で、生き続けたって、明日死んだっていい。

好きにしていい権利は少なからずあるはずだ。もちろん、迷惑かけまくるような死に方はしたくないけど。

 

自由に思うことはあるのに、それがだんだん削られ、形を変えられ、型にきっちりはめられるような もう世界は一つしかないと思わされるような 苦しい者の逃げ場がないような そんなものはいらないと思うのに。

 

がんじがらめになってるの、首を絞めて殺してあげたい。

 

 

知らないものは怖いこと?

死生観について書いてあると目に止まる。

ずっと死ぬことについてぐるぐると考えていたから

何か救ってくれるものが書いてあるんじゃないかって。

「死を思うから、生が輝く」って 大学の講義で使った本に書いてあった。

医療が発達する前、死が身近だった。宗教的にも死んだら極楽浄土に行けると信じられていた。

医療が発達し、死をタブーとしている現在、宗教の信仰も薄まっている。死がわからない、わからないものは怖いと感じる。

 

なるほど、と思うところと そうかなぁって思うところがあった。

 

死を身近に知っているから生きることを大事に思える と言うのはわからなくもない。身近な人が死んでしまった時、本当に命には終わりがあるんだと、有限なんだと実感するだろう。

死ぬことは未知だけど、怖いとは限らない。今生きている世界よりもいいと感じるかもしれないし。

生きることを大切になんて みんながそう思えるのか。 少なくとも私は感じない。

 

 

私でも、死ぬ間際には少しでも生きたいと思うのだろうか。人間の本能が、そうさせてくれるだろうか。

 

ただただ、毎日消費して時間とかお金とか、色々なものを消費しながら生きていくことが怖いんだ。

漠然とした不安に襲われるんだ 。

このままこんな感じで生きてていいのだろうかって。

 

死ぬって世界の終わりだっていうじゃない、

 

私の理想の死に方は大好きな人の前で最高にグロテスクに死ぬこと。

 

 

 

 

絶望の春

4月

春の空気に殺される。

毎回季節の変わり目は、まだ生きてんだなって実感させられるから嫌い。

冬は冷たくて厳しくて早く死ねと言う 孤独感を引き立たせてきたし しんとした空気が心に刺さってた。

春になって 温かい空気が 新学期が始まる前の微妙な緊張感とか まだ新鮮な気持ちで迎えられていたときのことを思い出させて 春はわくわくするもの、始まり、希望だとかそんなものを押しつけられているようだ。 温かい空気が、もう死んでもいいよって許してくれてるような気がするんだ。

生ぬるく私のこと半端に許してくれてるような気がするんだ。

 

ピカピカのランドセルとかそんなものにすら心が殺される 。 

 

 

 

今年度までに死のうと思ってたのにそれも叶わず、

絶望の春。

石橋を叩かない

きっと いろんなものから逃げたかった。

20年近く縛られてきた価値観とか 将来のこととか

求められない悲しさとか 違う世界に行きたかったんだと思う。今までの自分から抜け出したかった。

 

愛とお金どちらをとる?

昔は愛!って即答してたんだけど

そんな不確かなものよりも確実に満たしてくれるものの方がいいなぁって。

だけどねそれも心の奥深くまでは満たしてくれなかった。私の私という部分を肯定してくれたわけでもないし ただお疲れ様って声もなしに言われた気分。

 

自分が一瞬でも愛されてる、と感じる手段さえも

お金に換えてしまった。

普通の人と違って私には価値のないものだけど

有り余ってるものをお金に換えられるならいいじゃないか、惜しみもなくそれをばらまけるなら有効活用すべきだ 、今更失うものなんてないでしょう。

 

可愛い洋服、高い化粧品、表面だけ潤わせて

中身は乾いて仕方ないよ。

 

なにしたって根本的に私が私を否定して

自分が自分を殺そうとして

今いる自分は一体どの自分なのかわからなくて

地に足がついてるのかすらもわからない。

 

外に出れば 車が突っ込んできてくれないかと思い、

家にいても突然心臓が止まらないかと思い、

目を瞑ればビルの屋上にいる。

 

 

下書きにあったもの

あれ、今年初のブログだ

 

親が 私は死ぬことなんて考えたことない って言ったことに驚いた。同じ遺伝子だよね?そもそもみんな死ぬことって考えないのか?

死ぬということ自体タブーとされてる世の中だから。人間みんな死ぬし 死ぬことに直面しない人なんていないのにどうしてタブーにするの?

 

死んだらどうなるのかとか自分はいつどうやって死ぬのかとか 死にたいとか 死ぬときどんな感じなのかとかとにかく死ぬことが頭の中をめぐって仕方ないとか そういうことはないのか?

 

死にたいと思う。

死にたいというか生きたくないと思う。辛いから。

生きていたくないなら死ぬしかないしそれ以外に救済される方法が見つからないんだから。

今の状態をよくする気力もないし 諦めているから。

エネルギーがないし そこまで生に対して執着がないし 余命1日ですよと言われても ああそうですか、と言うんだろうな。

 

起きて食べてお風呂に入って寝てまた起きて

生きることって 時間の消費で何かを生み出さないと生きてる意味がない気がして不安になって

ただ息してるだけじゃ 罪悪感に襲われる。

 

社会のルール、常識、既成概念、世間体、そんなものにぐるぐる縛られて 疑問に思いつつも長いものには巻かれろと、歯車化して そんなもの 一体何が楽しいんだ?

 

集団に殺される毎日。空気にすら勝てない人間。

上手く隙間を縫って、それを死ぬまで。

 

嘘くさい人の言葉 表情 声に出さずとも聞こえる心の声 気持ち悪い そんなこと1ミリも思ってないくせに

見え透いた嘘が1番気持ち悪い

 

気持ち悪いもの

自分に使ったお金 嘘くさい笑顔 思ってもない言葉

性欲 自分に向けられる視線 嘘くさい恋愛ストーリー

ドキュメンタリー番組の嘘くさい涙 セフレとのLINE

 

 

 

 

 

死ねなかったわたしへ

毎日手帳にちょっとした日記を書いてる。

読み返すとほぼ毎日死にたいとか死ななきゃとかそんな感じ。よくもまあ今年1年間生きてこれたよなぁ。 そういえば去年立てた今年の目標は 生きる でした。まあ何とか達成できたかな。

来年の目標も生きる にしないと、着々と生きることへの執着がなくなっていってるから 本当にいつかぱったり死んでしまえそうな気がする。

それはそれでいいんだけど。

 

今年1年は 2年続けていたバイトを辞めたり

異性関係拗らせたり とにかく色んなことがあって

精神的にも1番酷くて、本当によく生きてきたなと思うわけで。みんなもっと生きてるだけで褒められるべきだと思う。すごいよ。

 

死にたくても 毎日起きて お腹すくからご飯食べて、欲しいものがあればお金を使って、眠くなれば寝る。それさえも気持ち悪いんだ。死にたいくせに生きようとするその行動が気持ち悪いんだ。私じゃない誰かが中にいるみたいだ。もう1人の私に殺されそうだ。どうして意に反する行動をしているの。

自分のことを考えれば考えるほど、わからなくなるし、本当に存在しているのかすらわからなくなる。

家で1人でいるときの自分、友達といるときの自分、バイト中の自分、どれもこれもが偽物で、本当の自分が何を考えているかわからない。どれも自分じゃない。怖い。自分で自分を認識できない。

 

ふわふわとしたまま、容赦なく月日は過ぎて、そしていつかは、現実に刺される。

 

新しい気持ちで新しい年を迎えましょうだなんてそんなことは絶対言いたくない。この死にたい気持ちを捨てられるわけないから。なかったことになんかできるか。

 

きっと来年も死なない限りは死にたさにへばりついて生きています。

 

手帳に書いた1年分の日記は、私の生きた記録です。

 

 

心に根ざしているもの

日曜日、欲しいコスメがあった。

天気は雨。家には祖父と弟と叔父と私だけ。

予定はなし、こんな日が1番危ないのはわかってた。

電気もつけずにぼーっとスマホをいじるだけ。

ずーっとずーっと消えなかった希死念慮無防備になった私に襲いかかってきた。 予定がなく1人でいるとすぐこれだ、だから家は嫌いだ。

ほんの些細なことだけど、自分が独りになってしまったような感覚になった出来事があり、本当に生きてる価値ないなと思った。誰からも愛されないのなら生きていなくてもいいじゃないか。

ひざ掛けにしていた大判ストールを首に巻きつけてきつく絞めてみる、すこーし意識がボワッとして終わった。 何やってんだ、と涙が出てきた。

どうせ死ねないのわかってたよ。 

 

常日頃から消えない希死念慮ってなんだろうと思って、同じような人はいないのかと 希死念慮 ブログ

で検索かけてみる。 するとあるコラムが出てきた。

『幸せな状況に置かれていても根底には死にたい気持ちが消えない』

みたいなことが書かれていた。そうだ、まさにその通りで私が思っていたのはこれだったんだ。

幸せなことに対する申し訳なさ、幸せだと感じても純粋に幸せだと感じることはできない。

これからもずっとずっと、死ぬことに対して批判的である世の中で生きていかなければならない。

生きることが絶対的であるという多数派に囲まれて。 

1人になると脳内でもう1人の自分が、早く死ね、役立たずのくせに、なんで生きてんの?って責めてくる。早く死ななければって、義務のように。

 

街に出るとたくさんの人がいて この人たちはみんな誰かに必要とされていて生きたいという意思を持って真っ当に生きている。そんな中をこんな空っぽな人間が歩いていていいのだろうか?と街行く人と自分を比べて消えたくなる。欲望にまみれた夜の街で

誰かその欲望を私にぶつけてくれないか、と。

暗い中歩いていると消えてしまえそうな気がする。

 

初めて人の文章を見て泣いた。

そもそも全く泣かないのに。

 

 家族の声も生活音もテレビの音も全部耳障りだ。

1人にしてくれよ 話してもわからないくせに干渉しないでよ、電気の明かりがしんどい。