ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

1年経ってたらしいよ

9月7日は、大好きな大好きな佐久間まゆちゃんのお誕生日ですよ。

・・あれ?去年も同じこと書いたなぁ・・

ということで1年経ちました。

ちょうどインターンシップ真っただ中で、何か自分の思いを吐き出せるものを作らなきゃと思ったのがきっかけだったと思います。

 

さて、1年記念に何かいいネタはないかなと思っていたけど、このブログ、見返すと

死にたいとかセックスとか自己肯定感しか書いてないな。

まあ、私の頭の中それしかないんですよね。

他に好きな物をあげろと言われたら、コスメ、お菓子、本だけど・・

どれも語れるほどの知識がないです!

 

なので、やっぱり今回も今まで通りにいきたいと思います!

 

先日、卒論用の本を借りに久しぶりに学校に行った。

せっかく1時間かけて来たし、他の本も読んでみようと思ってぶらぶら歩いてた。

手に取ったのは、身体を売る人、買う人 みたいな本と、なぜ人間は自殺するのか

という本・・(タイトルはうろ覚え)

 

やっぱりこういう本手に取ってしまうんだなぁ。一人でよかった。

まず1冊目の身体を売る、買うの方だけど、正直よくわからなかった。

だって売春も不倫もしたことないし。

ただ、「労働としてのセックス」という言葉だけ覚えてる。

風俗のことだろう。

周りに言ってもきっと理解してもらえない(言えないけど)と思うけど、私にとって自分の「性」って、自分とは切り離されてるように思う。

確かに自分の身体なんだけど、道具なんだ。ド〇クエでいうなんとかソードみたいなもの。

主人公そのものが自分自身とするならば、武器が性。

こんな風に感じてる。

だから、周りに簡単にヤるのやめたら?とか身体大事にしなよとか言われても

全く響かない。

装備を捨てろと言われましても・・って感じ。

 

その本にもう一つこんなことが書いてあった。

「承認されたいからセックスをする」

まさに私これなんですけど、と思った。待てよ、これさっきのド〇クエと逆のこと言ってるよね?

だってこれは性を通して自分自身を認めてもらおうとしてるじゃん。

身体しか必要とされてないのに、私自身も必要とされてるって錯覚する。

寂しくなったら誰でもいいからヤりたくなるの、これだもんね。

 

ほんと、自分の性を都合よく使ってるよなと思う。

 

2冊目。なぜ自殺をするのかという本。

色々書いてあったけど、自分なりにまとめると・・

「自殺は自己愛が強すぎる故に実行する。」

「死ぬ本能などは存在しない」

自己愛が強すぎて自殺って意味わかんない、自分が嫌いだから死ぬんでしょ、と思った。この本曰く、こんな自分でいること(失恋してみじめだとか、困窮した生活を送ってるとか)に耐えられなくて、こんな世界に生きていられないと思うんだって。

それでこの世界を変えたいけど、簡単に世界を変えられないから、破壊したいと思う矛先が自分に向くんだと。それが自殺。

死ぬ本能が存在しないっていうのは、生きる本能しか存在しないことらしい。

人間が自殺するのは、死にたいと思うんじゃなくて、もっと楽な別の世界に行きたい、そこで生きたいと思うからなんだって。

人間の生きることへの執着にはドン引きする。

ネットで見たことだけど、死ぬ間際に見る走馬灯は、目の前の死を回避するための方法を、今までの記憶をフル回転させて探すためらしい。

超引いた。

 

この本の結論部分読んだらがっかりした。

生命がある限りは希望があるとか書いてあるから。

私はこんな言葉見るためにこの本読んだわけじゃないのに。

 

でも、自分が欲しい言葉がわからない。

なにを肯定してほしいのか・・

死にたいと思う自分を肯定してほしいのか?

 

 

・・・

こんなブログですが、読者になってくれた方、スターつけてくださる方がいて

本当に嬉しく思います。ありがとうございます!

これからもまたなんか言ってんな、と思いながら読んでくれると喜びます。