ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

踏み入れてはいけない思考回路

何も予定がない休日の夜は死にたくて仕方なくなる。

何もできなかったとか 誰とも話してないとか 自己嫌悪。

 

Fさんの『真夜中乙女戦争』を少し読んだ。

「世界で1番危険な行為って、何だと思いますか。」

 

私が嫌いな何も予定のない休日。

もちろん、前の日はものすごく疲れてて今日は休みたいなんて時はありがたい けど夕方頃になれば

今日もっと何かできたのではと自分を責め出す。

夜になると、この20代前半という時期に1日ひきこもってもったいない 無駄に消費してしまった。とどうしようもなく悲しくなる。

 

なぜ生きているのかわからないとよく思う。

きっと死ぬまで いや死んでもわからないと思う。

永遠の疑問だと思う。

人生は消費活動。時間を消費しお金を消費し体を消費し… 減ってゆくものをじっと見つめているのが耐えられない。

 

なぜ生きているかと考えるのか。

自分を正当化したいか、 自分のしてきたことに本当に意味があったのか知りたい、つまり自分を丸ごと肯定してほしい。

今もこうやって、生きている意味を教えてほしい。

 

気がつけばこの世に存在していて、学校で勉強し、働く… そして死ぬ。

この活動に何か意味があるのだろうか。

何か意味がなければ、やりたくないことを我慢してやって、辛いことに耐えて、漠然とした人生に這いつくばって、なんてことできないし、やっていられない。 それこそ本当に絶望だ。

 

意味があるということは希望なのでは。

 

自分がやっていることに意味があると思うからこそできる。きっと、きっといつかはわかる。報われる。と信じているからこそできるわけでしょ。

 

意味を求め続けなければ人間は生きていけないし

絶望の中で死んでしまうのだろうな。

だって、無意味なものの中で、無意味なことをし続けているだなんて知ったら何もしたくなくなるでしょ。

 

私たちに、希望はあると思う?

 

 

 

体と身体

どうして自分の身体を売ってはいけないんですか?

という問いに何と答えてくれますか。

なぜこの仕事を始めたんですか?と聞かれたら

狂った貞操観念を生かしたいことと 若いうちにできること(若くなくてもできる仕事ではありますが独身が望ましいでしょう)をしたかった ありあまる性欲の捌け口が欲しかった。と答えるはず。

でも1番は、現実逃避。

何か知らない世界に、背徳感のある世界に行ってみたかったんだと思います。

他の人の知らない自分になりたかった。

他の人の知らない世界に行きたかった。

 

この仕事をしているってことは誰にも言っていません。墓場まで持っていくってこういうことなんだなあとしみじみ思っています。

 

でも、この仕事が悪いとかそんなことを言ってるわけじゃありません。個人の価値観ですから。

 

身体を売る 体を売る

漢字を変えると意味が違うように感じませんか。

前者はそれ自体を捧げるような

後者はそのものではなく、労力を捧げるような

個人的な考えかもしれませんが。

 

この仕事は、どっちだろう、きっと前者です。

 

「仕事ばかりだけど、体も大切にね。」と言うのは健康を気遣ってね という体そのものを大切にということだけど、

「もっと自分の身体大切にしなよ。」と言うのは

誰にでも自分の身体を許すなよってことでしょう。

 

「身体を大切に」の意味がずっとわからなかったんです。私は自分の意思で寝てるわけだし身体を売ってるわけだし、それがなぜ大切にしてないことになるのか、わからなかった。

 

最近思ったんですよ。

「身体」ではなく、「時間」なんじゃないかって。

あ、これは誰とでも寝るときに言われる状況に限ります。身体を売るのは仕事だから、時間を無駄にしているわけではないですからね。労働です。

 

あなたがテキトーな男と寝てるその時間で

美味しいものが食べられたかもしれないし、美容の時間に当てられたかも、はたまた友達と楽しい話ができたかもだし、いい出会いがあったかもしれない… と考えたら、次の日には顔も忘れてるような男と寝るのは時間を無駄にしていたってことなんじゃないかなって。

うん、こう言われると私でも、大切にしようと思います。

 

次、仕事として身体を売る場合ですが…

労働ですから、時間を割き働く代わりに、お金を貰っているわけです。 提供しているものは?

労力…そのほかには…自分の性…??

羞恥心は捨ててしまったし、誰のでも関係ないし、

自分の中で守っていたものを売ってしまったわけです。お金じゃ取り戻せないものを。

身体を大切にじゃなくって、「持っておくべきものはちゃんと持っておきなさい」と言ってくれたなら

ああ、そうかと思ったかもしれません。

 

でも今更、いいんです。

自分の承認欲求が満たされて お金ももらえて

さみしい時間を埋められるなら。

 

いつか、後悔する時が来ますか?

 

 

 

 

 

首吊り自殺

今まで生きてきた世界こそがこれからも自分の世界であることはなかった。

生まれてからずっと家庭、学校等で育てられてきた 身体的にも精神的にも。

今思えば教室というのは思想の監獄だった。意見を持てと言われても、みんなと同じ一般的な考えでないと否定されるし、集団の空気に殺される。

学校での教育は思想の統一だと言われるが、実際、統一されている側も統一する側も意識がないのだから、それが一番怖いと思う。

この考えが正しくてむしろこれ以外にはないと思っていたし、多分、先生だってこの考えこそが正しいと信じていたのだから。

 

この歳、といってもまだ21だけど、大学に入ってから考える幅は広がったように感じている。たくさんの人に会って色んな生き方や考え方を見た。

更にSNSでは更にもっと多くの人の考え方を見て、色んな音楽を聴くようになって、歌詞を読むようになった。

 

昔、縛られていた価値観は何だったんだろうと思う。

いい成績をとっていい会社に入り、友達をたくさん作り、恋人を作り結婚、子供を作って幸せに暮らさなければならないとか。

 

あなたは何もできないんだから家を離れないでね、とか私の言うことを聞いていれば間違いないのよ、とか思い出すと吐き気がする。

 

どうせ私の人生で、私の命で、生き続けたって、明日死んだっていい。

好きにしていい権利は少なからずあるはずだ。もちろん、迷惑かけまくるような死に方はしたくないけど。

 

自由に思うことはあるのに、それがだんだん削られ、形を変えられ、型にきっちりはめられるような もう世界は一つしかないと思わされるような 苦しい者の逃げ場がないような そんなものはいらないと思うのに。

 

がんじがらめになってるの、首を絞めて殺してあげたい。

 

 

知らないものは怖いこと?

死生観について書いてあると目に止まる。

ずっと死ぬことについてぐるぐると考えていたから

何か救ってくれるものが書いてあるんじゃないかって。

「死を思うから、生が輝く」って 大学の講義で使った本に書いてあった。

医療が発達する前、死が身近だった。宗教的にも死んだら極楽浄土に行けると信じられていた。

医療が発達し、死をタブーとしている現在、宗教の信仰も薄まっている。死がわからない、わからないものは怖いと感じる。

 

なるほど、と思うところと そうかなぁって思うところがあった。

 

死を身近に知っているから生きることを大事に思える と言うのはわからなくもない。身近な人が死んでしまった時、本当に命には終わりがあるんだと、有限なんだと実感するだろう。

死ぬことは未知だけど、怖いとは限らない。今生きている世界よりもいいと感じるかもしれないし。

生きることを大切になんて みんながそう思えるのか。 少なくとも私は感じない。

 

 

私でも、死ぬ間際には少しでも生きたいと思うのだろうか。人間の本能が、そうさせてくれるだろうか。

 

ただただ、毎日消費して時間とかお金とか、色々なものを消費しながら生きていくことが怖いんだ。

漠然とした不安に襲われるんだ 。

このままこんな感じで生きてていいのだろうかって。

 

死ぬって世界の終わりだっていうじゃない、

 

私の理想の死に方は大好きな人の前で最高にグロテスクに死ぬこと。

 

 

 

 

絶望の春

4月

春の空気に殺される。

毎回季節の変わり目は、まだ生きてんだなって実感させられるから嫌い。

冬は冷たくて厳しくて早く死ねと言う 孤独感を引き立たせてきたし しんとした空気が心に刺さってた。

春になって 温かい空気が 新学期が始まる前の微妙な緊張感とか まだ新鮮な気持ちで迎えられていたときのことを思い出させて 春はわくわくするもの、始まり、希望だとかそんなものを押しつけられているようだ。 温かい空気が、もう死んでもいいよって許してくれてるような気がするんだ。

生ぬるく私のこと半端に許してくれてるような気がするんだ。

 

ピカピカのランドセルとかそんなものにすら心が殺される 。 

 

 

 

今年度までに死のうと思ってたのにそれも叶わず、

絶望の春。

石橋を叩かない

きっと いろんなものから逃げたかった。

20年近く縛られてきた価値観とか 将来のこととか

求められない悲しさとか 違う世界に行きたかったんだと思う。今までの自分から抜け出したかった。

 

愛とお金どちらをとる?

昔は愛!って即答してたんだけど

そんな不確かなものよりも確実に満たしてくれるものの方がいいなぁって。

だけどねそれも心の奥深くまでは満たしてくれなかった。私の私という部分を肯定してくれたわけでもないし ただお疲れ様って声もなしに言われた気分。

 

自分が一瞬でも愛されてる、と感じる手段さえも

お金に換えてしまった。

普通の人と違って私には価値のないものだけど

有り余ってるものをお金に換えられるならいいじゃないか、惜しみもなくそれをばらまけるなら有効活用すべきだ 、今更失うものなんてないでしょう。

 

可愛い洋服、高い化粧品、表面だけ潤わせて

中身は乾いて仕方ないよ。

 

なにしたって根本的に私が私を否定して

自分が自分を殺そうとして

今いる自分は一体どの自分なのかわからなくて

地に足がついてるのかすらもわからない。

 

外に出れば 車が突っ込んできてくれないかと思い、

家にいても突然心臓が止まらないかと思い、

目を瞑ればビルの屋上にいる。

 

 

下書きにあったもの

あれ、今年初のブログだ

 

親が 私は死ぬことなんて考えたことない って言ったことに驚いた。同じ遺伝子だよね?そもそもみんな死ぬことって考えないのか?

死ぬということ自体タブーとされてる世の中だから。人間みんな死ぬし 死ぬことに直面しない人なんていないのにどうしてタブーにするの?

 

死んだらどうなるのかとか自分はいつどうやって死ぬのかとか 死にたいとか 死ぬときどんな感じなのかとかとにかく死ぬことが頭の中をめぐって仕方ないとか そういうことはないのか?

 

死にたいと思う。

死にたいというか生きたくないと思う。辛いから。

生きていたくないなら死ぬしかないしそれ以外に救済される方法が見つからないんだから。

今の状態をよくする気力もないし 諦めているから。

エネルギーがないし そこまで生に対して執着がないし 余命1日ですよと言われても ああそうですか、と言うんだろうな。

 

起きて食べてお風呂に入って寝てまた起きて

生きることって 時間の消費で何かを生み出さないと生きてる意味がない気がして不安になって

ただ息してるだけじゃ 罪悪感に襲われる。

 

社会のルール、常識、既成概念、世間体、そんなものにぐるぐる縛られて 疑問に思いつつも長いものには巻かれろと、歯車化して そんなもの 一体何が楽しいんだ?

 

集団に殺される毎日。空気にすら勝てない人間。

上手く隙間を縫って、それを死ぬまで。

 

嘘くさい人の言葉 表情 声に出さずとも聞こえる心の声 気持ち悪い そんなこと1ミリも思ってないくせに

見え透いた嘘が1番気持ち悪い

 

気持ち悪いもの

自分に使ったお金 嘘くさい笑顔 思ってもない言葉

性欲 自分に向けられる視線 嘘くさい恋愛ストーリー

ドキュメンタリー番組の嘘くさい涙 セフレとのLINE