ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

石橋を叩かない

きっと いろんなものから逃げたかった。

20年近く縛られてきた価値観とか 将来のこととか

求められない悲しさとか 違う世界に行きたかったんだと思う。今までの自分から抜け出したかった。

 

愛とお金どちらをとる?

昔は愛!って即答してたんだけど

そんな不確かなものよりも確実に満たしてくれるものの方がいいなぁって。

だけどねそれも心の奥深くまでは満たしてくれなかった。私の私という部分を肯定してくれたわけでもないし ただお疲れ様って声もなしに言われた気分。

 

自分が一瞬でも愛されてる、と感じる手段さえも

お金に換えてしまった。

普通の人と違って私には価値のないものだけど

有り余ってるものをお金に換えられるならいいじゃないか、惜しみもなくそれをばらまけるなら有効活用すべきだ 、今更失うものなんてないでしょう。

 

可愛い洋服、高い化粧品、表面だけ潤わせて

中身は乾いて仕方ないよ。

 

なにしたって根本的に私が私を否定して

自分が自分を殺そうとして

今いる自分は一体どの自分なのかわからなくて

地に足がついてるのかすらもわからない。

 

外に出れば 車が突っ込んできてくれないかと思い、

家にいても突然心臓が止まらないかと思い、

目を瞑ればビルの屋上にいる。

 

 

下書きにあったもの

あれ、今年初のブログだ

 

親が 私は死ぬことなんて考えたことない って言ったことに驚いた。同じ遺伝子だよね?そもそもみんな死ぬことって考えないのか?

死ぬということ自体タブーとされてる世の中だから。人間みんな死ぬし 死ぬことに直面しない人なんていないのにどうしてタブーにするの?

 

死んだらどうなるのかとか自分はいつどうやって死ぬのかとか 死にたいとか 死ぬときどんな感じなのかとかとにかく死ぬことが頭の中をめぐって仕方ないとか そういうことはないのか?

 

死にたいと思う。

死にたいというか生きたくないと思う。辛いから。

生きていたくないなら死ぬしかないしそれ以外に救済される方法が見つからないんだから。

今の状態をよくする気力もないし 諦めているから。

エネルギーがないし そこまで生に対して執着がないし 余命1日ですよと言われても ああそうですか、と言うんだろうな。

 

起きて食べてお風呂に入って寝てまた起きて

生きることって 時間の消費で何かを生み出さないと生きてる意味がない気がして不安になって

ただ息してるだけじゃ 罪悪感に襲われる。

 

社会のルール、常識、既成概念、世間体、そんなものにぐるぐる縛られて 疑問に思いつつも長いものには巻かれろと、歯車化して そんなもの 一体何が楽しいんだ?

 

集団に殺される毎日。空気にすら勝てない人間。

上手く隙間を縫って、それを死ぬまで。

 

嘘くさい人の言葉 表情 声に出さずとも聞こえる心の声 気持ち悪い そんなこと1ミリも思ってないくせに

見え透いた嘘が1番気持ち悪い

 

気持ち悪いもの

自分に使ったお金 嘘くさい笑顔 思ってもない言葉

性欲 自分に向けられる視線 嘘くさい恋愛ストーリー

ドキュメンタリー番組の嘘くさい涙 セフレとのLINE

 

 

 

 

 

死ねなかったわたしへ

毎日手帳にちょっとした日記を書いてる。

読み返すとほぼ毎日死にたいとか死ななきゃとかそんな感じ。よくもまあ今年1年間生きてこれたよなぁ。 そういえば去年立てた今年の目標は 生きる でした。まあ何とか達成できたかな。

来年の目標も生きる にしないと、着々と生きることへの執着がなくなっていってるから 本当にいつかぱったり死んでしまえそうな気がする。

それはそれでいいんだけど。

 

今年1年は 2年続けていたバイトを辞めたり

異性関係拗らせたり とにかく色んなことがあって

精神的にも1番酷くて、本当によく生きてきたなと思うわけで。みんなもっと生きてるだけで褒められるべきだと思う。すごいよ。

 

死にたくても 毎日起きて お腹すくからご飯食べて、欲しいものがあればお金を使って、眠くなれば寝る。それさえも気持ち悪いんだ。死にたいくせに生きようとするその行動が気持ち悪いんだ。私じゃない誰かが中にいるみたいだ。もう1人の私に殺されそうだ。どうして意に反する行動をしているの。

自分のことを考えれば考えるほど、わからなくなるし、本当に存在しているのかすらわからなくなる。

家で1人でいるときの自分、友達といるときの自分、バイト中の自分、どれもこれもが偽物で、本当の自分が何を考えているかわからない。どれも自分じゃない。怖い。自分で自分を認識できない。

 

ふわふわとしたまま、容赦なく月日は過ぎて、そしていつかは、現実に刺される。

 

新しい気持ちで新しい年を迎えましょうだなんてそんなことは絶対言いたくない。この死にたい気持ちを捨てられるわけないから。なかったことになんかできるか。

 

きっと来年も死なない限りは死にたさにへばりついて生きています。

 

手帳に書いた1年分の日記は、私の生きた記録です。

 

 

心に根ざしているもの

日曜日、欲しいコスメがあった。

天気は雨。家には祖父と弟と叔父と私だけ。

予定はなし、こんな日が1番危ないのはわかってた。

電気もつけずにぼーっとスマホをいじるだけ。

ずーっとずーっと消えなかった希死念慮無防備になった私に襲いかかってきた。 予定がなく1人でいるとすぐこれだ、だから家は嫌いだ。

ほんの些細なことだけど、自分が独りになってしまったような感覚になった出来事があり、本当に生きてる価値ないなと思った。誰からも愛されないのなら生きていなくてもいいじゃないか。

ひざ掛けにしていた大判ストールを首に巻きつけてきつく絞めてみる、すこーし意識がボワッとして終わった。 何やってんだ、と涙が出てきた。

どうせ死ねないのわかってたよ。 

 

常日頃から消えない希死念慮ってなんだろうと思って、同じような人はいないのかと 希死念慮 ブログ

で検索かけてみる。 するとあるコラムが出てきた。

『幸せな状況に置かれていても根底には死にたい気持ちが消えない』

みたいなことが書かれていた。そうだ、まさにその通りで私が思っていたのはこれだったんだ。

幸せなことに対する申し訳なさ、幸せだと感じても純粋に幸せだと感じることはできない。

これからもずっとずっと、死ぬことに対して批判的である世の中で生きていかなければならない。

生きることが絶対的であるという多数派に囲まれて。 

1人になると脳内でもう1人の自分が、早く死ね、役立たずのくせに、なんで生きてんの?って責めてくる。早く死ななければって、義務のように。

 

街に出るとたくさんの人がいて この人たちはみんな誰かに必要とされていて生きたいという意思を持って真っ当に生きている。そんな中をこんな空っぽな人間が歩いていていいのだろうか?と街行く人と自分を比べて消えたくなる。欲望にまみれた夜の街で

誰かその欲望を私にぶつけてくれないか、と。

暗い中歩いていると消えてしまえそうな気がする。

 

初めて人の文章を見て泣いた。

そもそも全く泣かないのに。

 

 家族の声も生活音もテレビの音も全部耳障りだ。

1人にしてくれよ 話してもわからないくせに干渉しないでよ、電気の明かりがしんどい。

 

 

酒とタバコとそれから

私は朝からGoogleで 性依存 治療 って調べてた。

性依存症の人のブログとか、後はまあどこにでもありそうな記事や、病院のホームページ。

自分に自信がないとか 愛情不足だとか トラウマがあるとか 原因としてはそんな感じ。

 

確かにねセックスしてる時自分だけをみてくれて

自分を求めてくれてるし これ以上の快感はないと思うし、寧ろそのためだけにセックスしてるようなもんだよ。 だから好きな人じゃなくても彼氏じゃなくても 何かすぐに適当に心の隙間を埋めてくれるものが欲しかった。

 

割り切った関係だとわかっていてそれを承知の上でやったはずなのに終わった後の虚無感 と、ますます自分の自信がなくなっていく。体以外に求められるものなんて持ってないんだってね。

変な独占欲、優越感、劣等感、

何1つ得るものはないのに どうして一瞬の快楽だけを求めてしまうんだろう。

 

もっと自分を大事にしなきゃだめだよ、って

大切にするって何? 適当なセックスって自分を大事にしてないことになるの?

 

何も信じられないから 心は信じられないから、

目に見える体の反応に安心する。

 

 

死ぬこと以外、かすり傷?

歳を重ねれば大人になれると思っていた。

結局大人なんかわからなくて、少しばかり自由なお金を手に入れて、ずるいことを知っている人間になっただけだった。

 

私、いつまで経っても大人になれない。大人を知らないから。

 

誕生日を迎えました。21歳になりました。

私はここまで生き延びてしまったのです。

20歳になる前に死んでしまおうと思っていた私は?

20歳になって、年齢だけ大人になった気がしていた。お酒飲みまくっても、タバコ吸っても、夜遊びして知らない人とセックスしても、大人だから。

 

自傷行為もたくさんした。本当にこれで死のうと思った。死ねなかったからブログ書いてるわけだけど。日に日に死ぬことを考えるようになった。

電車のホームに立てば、飛び込んだら死ねるとか、信号待ちをしていれば、今道路に出たら死ねるとか、料理中包丁を持つと、思い切り刺せば死ねるとか、とにかく死ぬことを考えていた。

 

生きている価値なんてないと思うから祝われるのが怖いんだ。嬉しいけど、怖いんだよ。生まれてきてごめんなさい、生きててごめんなさい、望むような子じゃなくて、みんなに必要とされる子じゃなくて、何にもできなくてごめんなさい。

 

おめでとうなんて、何がおめでたいんだ、

望んで世界に生まれてきてない。

 

今度はね今年度が終わる前に死のうと思ってるよ。 

 

毎年誕生日までに死のうと思ってるんだ

今月末、私の誕生日がくる。

毎年11月1日のカレンダーを見ると憂鬱になる。

20歳になるまでには死のうと思ってたのに。若いうちに、大人になる前には死のうと思ってたのに。

ここまで生きてしまったんだなぁと。

 

自分の生まれた日ってなんだろう。

時間という概念も区切り方も年齢も人間が決めたもので 誕生日なんて本当はないんじゃないか、誕生日は生まれた瞬間だけなのではないか、なんて考えてしまうのだけど…

 

家族や友達は祝ってくれて何も不満なことはない

むしろ生まれたことに対して祝われるなんて、寧ろいいのかな?って思うんだよね、

「生まれてきてくれてありがとう」

の違和感といったら。

 

夏の間は夏が終わるまでに死のうと思ってたし

月末にはまた今月生きてしまった、早く死ななければと思うし、月始めには焦燥感に駆られて仕方ないし、死ぬまでのタイムリミットを、まあいつも死ねないわけなんだけども 決めている。

 

後何十年、いや運が良ければ後何年かでタイムリミットを定めなくてもいつか突然死んでしまうなんてこと、あるんだろうか?

 

死んだらどうなるのか 未知の世界で誰も知らないから世間は怖いことだという。

私は死ぬなんて、ずーっと寝ている状態なんじゃないの?って思っている。

魂だけふわふわ漂って幽霊になんかなりたくない。

世界から抜け出したくて死んだのに幽霊になったら永遠に死ねなさそうじゃない?

 

一度だけ、始めてodした時に 今日で死ぬんだと割と本気で思ったことがある。遺書的なものも書いて…

でも次の日普通に目覚めたし 人間って中々死ねないんだなって実感した。

 

たぶん、みんな生まれてきた意味とか、生きてる意味とかないんだよね 生まれてきてしまったからなんとか死ぬまでの暇つぶしで生きてるんだよね。

 

人が本当に死ぬのはみんなに忘れられた時って

なんかの漫画で見たなあ。