ピンク色の

私が私でいられるように書きます。

死ねなかったわたしへ

毎日手帳にちょっとした日記を書いてる。

読み返すとほぼ毎日死にたいとか死ななきゃとかそんな感じ。よくもまあ今年1年間生きてこれたよなぁ。 そういえば去年立てた今年の目標は 生きる でした。まあ何とか達成できたかな。

来年の目標も生きる にしないと、着々と生きることへの執着がなくなっていってるから 本当にいつかぱったり死んでしまえそうな気がする。

それはそれでいいんだけど。

 

今年1年は 2年続けていたバイトを辞めたり

異性関係拗らせたり とにかく色んなことがあって

精神的にも1番酷くて、本当によく生きてきたなと思うわけで。みんなもっと生きてるだけで褒められるべきだと思う。すごいよ。

 

死にたくても 毎日起きて お腹すくからご飯食べて、欲しいものがあればお金を使って、眠くなれば寝る。それさえも気持ち悪いんだ。死にたいくせに生きようとするその行動が気持ち悪いんだ。私じゃない誰かが中にいるみたいだ。もう1人の私に殺されそうだ。どうして意に反する行動をしているの。

自分のことを考えれば考えるほど、わからなくなるし、本当に存在しているのかすらわからなくなる。

家で1人でいるときの自分、友達といるときの自分、バイト中の自分、どれもこれもが偽物で、本当の自分が何を考えているかわからない。どれも自分じゃない。怖い。自分で自分を認識できない。

 

ふわふわとしたまま、容赦なく月日は過ぎて、そしていつかは、現実に刺される。

 

新しい気持ちで新しい年を迎えましょうだなんてそんなことは絶対言いたくない。この死にたい気持ちを捨てられるわけないから。なかったことになんかできるか。

 

きっと来年も死なない限りは死にたさにへばりついて生きています。

 

手帳に書いた1年分の日記は、私の生きた記録です。

 

 

心に根ざしているもの

日曜日、欲しいコスメがあった。

天気は雨。家には祖父と弟と叔父と私だけ。

予定はなし、こんな日が1番危ないのはわかってた。

電気もつけずにぼーっとスマホをいじるだけ。

ずーっとずーっと消えなかった希死念慮無防備になった私に襲いかかってきた。 予定がなく1人でいるとすぐこれだ、だから家は嫌いだ。

ほんの些細なことだけど、自分が独りになってしまったような感覚になった出来事があり、本当に生きてる価値ないなと思った。誰からも愛されないのなら生きていなくてもいいじゃないか。

ひざ掛けにしていた大判ストールを首に巻きつけてきつく絞めてみる、すこーし意識がボワッとして終わった。 何やってんだ、と涙が出てきた。

どうせ死ねないのわかってたよ。 

 

常日頃から消えない希死念慮ってなんだろうと思って、同じような人はいないのかと 希死念慮 ブログ

で検索かけてみる。 するとあるコラムが出てきた。

『幸せな状況に置かれていても根底には死にたい気持ちが消えない』

みたいなことが書かれていた。そうだ、まさにその通りで私が思っていたのはこれだったんだ。

幸せなことに対する申し訳なさ、幸せだと感じても純粋に幸せだと感じることはできない。

これからもずっとずっと、死ぬことに対して批判的である世の中で生きていかなければならない。

生きることが絶対的であるという多数派に囲まれて。 

1人になると脳内でもう1人の自分が、早く死ね、役立たずのくせに、なんで生きてんの?って責めてくる。早く死ななければって、義務のように。

 

街に出るとたくさんの人がいて この人たちはみんな誰かに必要とされていて生きたいという意思を持って真っ当に生きている。そんな中をこんな空っぽな人間が歩いていていいのだろうか?と街行く人と自分を比べて消えたくなる。欲望にまみれた夜の街で

誰かその欲望を私にぶつけてくれないか、と。

暗い中歩いていると消えてしまえそうな気がする。

 

初めて人の文章を見て泣いた。

そもそも全く泣かないのに。

 

 家族の声も生活音もテレビの音も全部耳障りだ。

1人にしてくれよ 話してもわからないくせに干渉しないでよ、電気の明かりがしんどい。

 

 

酒とタバコとそれから

私は朝からGoogleで 性依存 治療 って調べてた。

性依存症の人のブログとか、後はまあどこにでもありそうな記事や、病院のホームページ。

自分に自信がないとか 愛情不足だとか トラウマがあるとか 原因としてはそんな感じ。

 

確かにねセックスしてる時自分だけをみてくれて

自分を求めてくれてるし これ以上の快感はないと思うし、寧ろそのためだけにセックスしてるようなもんだよ。 だから好きな人じゃなくても彼氏じゃなくても 何かすぐに適当に心の隙間を埋めてくれるものが欲しかった。

 

割り切った関係だとわかっていてそれを承知の上でやったはずなのに終わった後の虚無感 と、ますます自分の自信がなくなっていく。体以外に求められるものなんて持ってないんだってね。

変な独占欲、優越感、劣等感、

何1つ得るものはないのに どうして一瞬の快楽だけを求めてしまうんだろう。

 

もっと自分を大事にしなきゃだめだよ、って

大切にするって何? 適当なセックスって自分を大事にしてないことになるの?

 

何も信じられないから 心は信じられないから、

目に見える体の反応に安心する。

 

 

死ぬこと以外、かすり傷?

歳を重ねれば大人になれると思っていた。

結局大人なんかわからなくて、少しばかり自由なお金を手に入れて、ずるいことを知っている人間になっただけだった。

 

私、いつまで経っても大人になれない。大人を知らないから。

 

誕生日を迎えました。21歳になりました。

私はここまで生き延びてしまったのです。

20歳になる前に死んでしまおうと思っていた私は?

20歳になって、年齢だけ大人になった気がしていた。お酒飲みまくっても、タバコ吸っても、夜遊びして知らない人とセックスしても、大人だから。

 

自傷行為もたくさんした。本当にこれで死のうと思った。死ねなかったからブログ書いてるわけだけど。日に日に死ぬことを考えるようになった。

電車のホームに立てば、飛び込んだら死ねるとか、信号待ちをしていれば、今道路に出たら死ねるとか、料理中包丁を持つと、思い切り刺せば死ねるとか、とにかく死ぬことを考えていた。

 

生きている価値なんてないと思うから祝われるのが怖いんだ。嬉しいけど、怖いんだよ。生まれてきてごめんなさい、生きててごめんなさい、望むような子じゃなくて、みんなに必要とされる子じゃなくて、何にもできなくてごめんなさい。

 

おめでとうなんて、何がおめでたいんだ、

望んで世界に生まれてきてない。

 

今度はね今年度が終わる前に死のうと思ってるよ。 

 

毎年誕生日までに死のうと思ってるんだ

今月末、私の誕生日がくる。

毎年11月1日のカレンダーを見ると憂鬱になる。

20歳になるまでには死のうと思ってたのに。若いうちに、大人になる前には死のうと思ってたのに。

ここまで生きてしまったんだなぁと。

 

自分の生まれた日ってなんだろう。

時間という概念も区切り方も年齢も人間が決めたもので 誕生日なんて本当はないんじゃないか、誕生日は生まれた瞬間だけなのではないか、なんて考えてしまうのだけど…

 

家族や友達は祝ってくれて何も不満なことはない

むしろ生まれたことに対して祝われるなんて、寧ろいいのかな?って思うんだよね、

「生まれてきてくれてありがとう」

の違和感といったら。

 

夏の間は夏が終わるまでに死のうと思ってたし

月末にはまた今月生きてしまった、早く死ななければと思うし、月始めには焦燥感に駆られて仕方ないし、死ぬまでのタイムリミットを、まあいつも死ねないわけなんだけども 決めている。

 

後何十年、いや運が良ければ後何年かでタイムリミットを定めなくてもいつか突然死んでしまうなんてこと、あるんだろうか?

 

死んだらどうなるのか 未知の世界で誰も知らないから世間は怖いことだという。

私は死ぬなんて、ずーっと寝ている状態なんじゃないの?って思っている。

魂だけふわふわ漂って幽霊になんかなりたくない。

世界から抜け出したくて死んだのに幽霊になったら永遠に死ねなさそうじゃない?

 

一度だけ、始めてodした時に 今日で死ぬんだと割と本気で思ったことがある。遺書的なものも書いて…

でも次の日普通に目覚めたし 人間って中々死ねないんだなって実感した。

 

たぶん、みんな生まれてきた意味とか、生きてる意味とかないんだよね 生まれてきてしまったからなんとか死ぬまでの暇つぶしで生きてるんだよね。

 

人が本当に死ぬのはみんなに忘れられた時って

なんかの漫画で見たなあ。 

 

 

夏のせいより秋のせい

 

もう一回、やりたいと思った

別に好きだったあの人じゃなくてもいいと思った

 

適当なアプリを入れてウケの良さそうな写真をアイコンにしてしばらく待ってた

何人かからメッセージが来たけど、なんでその人にしたんだっけな、 ああ、淡々と余計なことを言わなかったのが良かったんだっけね?

 

実際に約束して前日は 本当にいけないことをしてるようだった    どこいくのって親に聞かれて目が泳いでしまいそうだった  

もしかしたらこの先の人生変わってしまうかもなぁ とか 殺されるんじゃないかなとか

色んな不安はあったけど

死んでもまあいいか なんて思ってたからかな

 

俺のことは信用していいからね、先に渡しとくねって、お札を目の前に出された  

今思うと素直にもらっとけばよかったのに

援助が目的じゃなかったし まだ経験がほぼなかったし

貰うのが申し訳なかったから断った

 

この人、もうずーっとこんなことしてるんだろうなって思わせる慣れた手つき

世間話も面白くて 結構リピートしてくれるんだよって ああなるほどね って思った

 

妻とはレスでね…

奥さんにバレたら訴えられたりするんだろうか

女は匂いで見破るからさ

 

半年くらいその人と続けた

悩みも聞いてもらえて 欲も解消できた

ただ、親に嘘を積み重ねて、いつ矛盾したことを言ってしまうかハラハラしてた

その時は別に自分に対して何も思わなかった

なんだろう、他の人に対して優越感が欲しかったのかな  他の人はしてないであろうことをして

 

ある日突然、もう会うのをやめた

理由は覚えてない

すんなりと承諾と、お礼のメッセージが来た

もしまたその気があれば連絡してねって言ってくれたけど アプリも全部消して 一切の連絡手段を絶った

 

自分でもよくあんな怖いことできたなと思う

もうほとんど思い出さないけど、たまーにふと思い出しては あの頃の私は本当に私だったのだろうかと不思議に思って仕方ない

 

と、ここまで下書きに残していたのだが、ついこの間寂しさからまたアプリを入れた。

するとこの人からメッセが届いていた。

私は一回退会したし、アイコンも前とは変えていたから分からないのだろうけど  相手は名前が同じだったし文章の感じからすぐに思い出せた。

 

ちなみにメッセは返していない。というか返せない。

 

 

絶対的な拠り所

お母さんはあなたのためを思って言っているのよ

お母さんはあなたが大事だから言っているのよ

 

なんて言葉は嫌い。そんなの自分の自己満じゃないか、といつも思っている。

 

小さい頃は親の言うことを聞いていればそれでよかった。勉強をたくさんしていい成績をとって、習い事も真面目にして、決められた時間には帰ってくる。そんな生活をしていればあなたはちゃんとした人間に育って幸せになれるからねなんて、

絶対的な存在に近かったのかもしれない。

 

親は私の歩く道を用意してくれて

従ってれば間違わないと、そう思って育ってきた

 

でもやはり親も人間である

親である前に人間なのだ

親がセックスしたから私ができたのだ

 

私の理想が崩れていく 絶対的なものが崩れていく

私は何を信じて生きていけばいいのか

そんなの決まってる 自分自身しかいないんだよ

 

自分自身に自信がなくて一体どうやって

信じて生きていけばいいの

 

何も生きていく基準がなくなって

すがるものもなくなった

 

神様というのは実はいるのかもしれないなと

珍しく思う